コンピュータ流通の光と影 PART IX

<コンピュータ流通の光と影 PART IX>拡がれ、日本のソフトウェアビジネス 第44回 長野県

2006/02/20 20:42

週刊BCN 2006年02月20日vol.1126掲載

 長野県では精密工業を中心とした製造業が、産業支援策の主力となっている。情報サービス産業やソフト開発などは、その周辺の産業という位置づけだ。「製造業の海外シフトの影響で、生産管理などの受託ソフトベンダーが海外進出を余儀なくされたり、ソフト開発市場そのものが小さくなったりという影響が出ている」と危惧する声も聞かれる。(光と影PART IX・特別取材班)

地元製造業の“元気回復”がソフト産業を活況に導く

■首都圏に軸足をおかざるを得ない地理的ハンデ

 「長野県のソフトウェア産業の実態を把握するために、来年度、会員企業に対してアンケート調査を実施するつもり」

 長野県情報サービス振興協会(NISA)の事務局長を務める電算の市川寛・システム技術本部副本部長・CMMI推進部長・教育研修部長は長野県のソフト産業の実態を浮き彫りにすることから始める。公共分野が主力の電算の場合は県内の顧客は多いが、民間企業向けのシステム開発に注力する企業の場合、その多くが東京を中心とした首都圏でのビジネスを主体にしていると見ている。市川NISA事務局長によれば「県内企業でも営業担当のトップが首都圏駐在という企業もある」そうだ。

 来年度に実施する調査により、「県外および県内比率や県内、県外ともに同業者間の取引の状況、つまり下請けの実態についても見えてくるだろう」と、長野県のソフト産業の置かれた実態がわかるようになる。

 長野県の産業施策の中心は、製造業にある。ソフト産業との関わりについては、Javaなど高いITスキルを持った人材を育成するための研修プログラムをNISAに対して委託事業として進めている程度。運営経費の3分の2は県が負担する体制だ。ただし「長野県産業大学講座」として実施しているこの委託事業の対象は、ITベンダーではなく中小製造業がメイン。中小企業がIT化に乗り出せば、SIerのビジネスにつながる期待はあるが、国内だけでなく海外との競争にもさらされているそれらの企業では、「情報化投資への決断は後回しになっている」と、県内のSIer自身は、見通しは決して明るくないと見ている。

 だが、長野県がIT産業振興策に着手するのが遅かったというわけではない。1990年に松本市に松本ソフト開発センターが開設。92年にはそれまで任意団体だったNISAが社団法人化され、ソフト産業振興もスタートした。

 そのほかにも、95年8月に上田市にマルチメディア情報センターが開設され、同9月には上田市と松本市に隣接する丸子町に政府プロジェクトでマルチメディア研究センター(MRC)が設置された。上田市はこれら施設開設とともにマルチメディアタウンを目指すことに。

 しかし、画像処理などマルチメディア関連技術が普及していくことで高度な研究施設は活用されなくなってしまった。03年には、早くも情報処理振興事業協会(当時、現情報処理推進機構=IPA)が施設売却の検討に入り、上田市などが存続策を模索したものの有効な方策は見つからなかった。結局、05年8月にはもともと上田市に本社があり現在は東京・大田区に本社を置く長野計器の研究開発施設として売却された。「画像処理などマルチメディア関連技術は、どうしても需要地が東京になる。長野新幹線があるものの上田や丸子町は決して近いとはいえない」(長野県商工部の担当者)というのも失敗に終わった要因のひとつだろう。

■製造業に合わせて海外進出したものの…

 その上田市のリサーチパークに本社を置くソフト開発会社2社を訪ねた。セイコーエプソンが20%出資するエプソンアヴァシスの土屋正弘会長は、「当初からマルチメディアタウン構想には反対だった」と当時を振り返る。組み込みソフトや企業のシステム構築などを手がける同社にとって、マルチメディア分野というのが業態に近くないという面もあるが、行政主体で継続的とはいえない事業には懐疑的だったという。もう1社が同じリサーチパークに本社があるズー。同社の宮島仁一社長は、東京から上田市に戻ってソフト開発会社を立ち上げた。「上田に帰って何をやるというあてもなかった。新しい分野としてソフト開発はどうか」と考えた末に、近くのお寺向けに寺院管理などのパソコンソフトを制作したのが事業のスタート。その後、地元の薬剤師グループの要請を受けて「調剤薬局向けレセプトコンピュータ」を開発したりインフォミックスのVAR(付加価値再販業者)グループに参加するなど企業向けシステム事業を広げてきた。

 そのズーにとってはマルチメディア関連に進出するのは新しい事業分野開拓という意味もあった。現在でも、医療調剤事業だけでなくエンターテインメント事業としてパソコンゲーム、映像制作などを手がける。幅広くソフト開発力を高めてきたことでインターネット関連で新しい分野を開拓できる芽も育っているという。

 エプソンアヴァシスは、「エプソングループ向け以外の売上比率を30%に高める」(土屋会長)という目標を掲げているが基本的にはソフト開発などで長野県内のマーケットを中心には置いていない。ズーも医薬品分野のソフト開発に注力しているが、上田市の薬剤師グループの依頼から始まったとはいえ、すでにOEMのほか全国規模で販路を開拓することも狙っている。

 NISAの市川事務局長は、「県内には意外とソフト開発ベンダーが多い。ただそのほとんどが地元製造業向けに生産管理システムといったソフトを開発してきた企業だ」と語る。製造業が海外進出するのに合わせて海外へ出たソフトベンダーもあるが、「結局はビジネスを広げたことにはならなかった」と指摘する。

 やはり製造業を中心に県内企業の競争力回復と国内回帰が、地元のソフト開発会社の活力を回復する大きな要因になりそうだ。

 システックスの場合、「県外の売上比率は90%。県内比率は非常に小さくなっている」(北村正博社長)のが実態だ。大塚商会のパートナー企業だけに、そうしたビジネスの多くが東京および首都圏に集中する。

 イタリア・トリノで冬季オリンピックの熱戦が繰り広げられている。98年は長野がオリンピック景気に沸いた。オリンピック後の長引く景気低迷が県内の建設関連や流通業を疲弊させているのも事実。製造業だけでなく、こうした業種も勢いを盛り返し競争力アップのために情報化投資を回復すればと、地元のソフト産業も景気低迷という“冬眠”から覚めるのを待っている。
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