視点
生成AI社会と情報倫理
2025/04/23 09:00
週刊BCN 2025年04月21日vol.2056掲載
生成AIの利用では、著作権侵害にならないようにすることは当然である。政府の取り組みやパネリスト各社の取り組みは大いに参考になる。ただ、私が生成AIの問題に取り組むのは、法律をクリアにするためだけではない。
21年前に『情報倫理学入門』(ナカニシヤ出版)を共著で出した。この中で、まだ広く知られていなかった情報モラル教育の必要性を訴えた。著作権教育だけでは情報社会を生きるスキルとしては不十分で、情報モラルをその背景にある考え方とともに学習する必要がある、という内容である。著作権教育は、情報モラル教育の入り口として分かりやすい。今やその言葉も、その意味も、社会問題として頻出する事件とともに、人びとに浸透している。
私の生成AIに対する見方は、21年前と同じ感覚だ。創作は、絵も音楽も小説も、そしてプログラムさえ、ほとんどの場合、過去につくられた作品やプログラムからヒントやひらめきなどの刺激を受け、手法や表現技術を学び、成果に立脚して行われてきた。まさに「守、破、離」であり巨人の肩の上である。そのことが、創作者の内在的制約としてバランスをとり、権利の拡大の歯止めになってきたし、創作へのリスペクトにもなった。
生成AIは、天文学的数量の過去の創作物を土台にするが、そこに創作者へのリスペクトはあるのか。生成AIと人間の違いは、身体性の有無だ。創作物を盗用されたり、改ざんされたりするなど、創作者の心の痛みに思いを馳せる社会であってほしい。「無秩序な創造性から倫理的創造性へ」と副題が付けられた河島茂生『生成AI社会』(ウェッジ)が、この問いの参考になる。法教育も生成AIの利用も、倫理的な発想が必要ではないか。
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