視点

「はやり歌」のない時代を生きる

2024/12/04 09:00

週刊BCN 2024年12月02日vol.2039掲載

 歌は世につれ、世は歌につれと言われるが、いつの間にか老若男女がこぞって歌える流行歌がなくなってきたと思う。古い話にはなるが、かつてはペギー葉山の「南国土佐を後にして」や山口百恵の「いい日旅立ち」と、その時代を代表する流行歌があった。その歌だけでその時代の空気が伝わった。

 しかし、今、ヒット曲は確かにあるにはあるが、特定世代の歌で老若男女がこぞって歌える曲とは言えない。つまり今の時代を代表する流行歌ではないのだ。NHKの紅白歌合戦の視聴率が最高を記録したのが、舟木一夫の「高校三年生」がはやった昭和38年の81.4%である。大みそかにはみんな同じ歌を聞いていた。昨年の紅白歌合戦の視聴率が過去最低の31%であるから、明らかに大きく流れが変わっているのである。

 流行歌というのは単なる「はやり歌」ではなく、多分にその時代の人々の生き方、価値観などが映し出される。老若男女がこぞって歌える流行歌がないということは、価値観の多様化が大きく進んできていることを意味する。人々が同じ方向を向いていた昭和の時代とは異なり、大きな断層が生まれているとも言える。

 その第1は、貧富の格差の拡大である。構造的にどうしようないところに、きてしまった感もある。工業化社会を終え、現在の高度情報化社会は少しの勝者と多くの敗者を生み出す仕組みが世界的に定着した。

 第2は、繁栄する大都市と時代に取り残された地方との格差の拡大である。井沢八郎の「ああ上野駅」の歌詞にあるように、地方から大都市に民族の大移動が行われた高度経済成長期は大都市と地方の交流は盛んだった。しかし、第2世代、第3世代になるとそうはならない。競争が激しく絶えず変化を続ける大都市と地方。あえて厳しい表現をすると、打つ手が見つけられないほどに溝は広がった。

 第3は、人々の生き方による格差である。これは高度情報化社会の良い点であるが、今は誰でも何にでも挑戦できる時代となった。私の周りでも80歳を超えているYouTuberや、地方の振興策を携えて全国を訪問する政策マンなど、多くの人が新しい生き方を創り出している。

 そこで自分は何をするのか。見つけだせる人と見つけられない人とは、もう天文学的な格差が生まれている。

 
アジアビジネス探索者 増田辰弘
増田 辰弘(ますだ たつひろ)
 1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。
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