視点

「DX化」という言葉に見えるDXの劣化は誰の責任か

2024/11/20 09:00

週刊BCN 2024年11月18日vol.2037掲載

 「DX化」という表現を目にすることがある。どうも「デジタル化」と区別せずに使っているようだ。

 経済産業省のDXの定義によると、「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して顧客や社会のニーズを基に製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに業務プロセスや組織、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」とある。これを次のように読みかえることができる。

 データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを的確に捉え、自社の競争優位を確立する。そのために、「商材やビジネスモデル、業務の仕組み、企業の文化や風土」を変革すること。

 言葉を自分たちにとって都合良く解釈したり、限られた知識の範囲内で理解しようとしたりすると、本来の意味からかけ離れてしまう。DX化は、そんな一つだろう。ましてや自社の商材を売るために、意図して本来の意味をねじ曲げているとすれば、残念な話だ。例えば、「人事DX」「経理DX」「生産DX」といった「なんちゃらDX」というのは、そんな典型かもしれない。

 既存の業務プロセスや組織構造をそのままに、アナログな業務をなんちゃらDXと称するデジタルツールに置き換えても、DXにはならない。なぜなら、DXは「商材やビジネスモデル、業務の仕組み、企業の文化や風土」の変革だからだ。

 もちろん、デジタルツールを使って業務効率や生産性を向上させることは大切だ。ただ、それはデジタル化であり、DXではない。それにもかかわらず、DXという言葉に固執するのは、見栄えをよくするための虚飾でしかない。

 このような使い方は、DXを「デジタル技術やデジタルツールを使うこと」という手段にわい小化し、本来の目的を見失わせてしまう。これでは、DXを誤った方向に導き、真の変革の足かせになる。デジタルで顧客の価値を高めることを生業とするITベンダーやSI事業者なら、デジタル化とDXを明確に区別し、適切に使い分けるべきだ。

 言葉は独り歩きする。だからこそ、その言葉に携わる人たちは、これを正しく使うことで、自らの社会的責任を果たすべきだ。

 
ネットコマース 代表取締役CEO 斎藤昌義
斎藤 昌義(さいとう まさのり)
 1958年生まれ。日本IBMで営業を担当した後、コンサルティングサービスのネットコマースを設立して代表取締役に就任。ユーザー企業には適切なITソリューションの選び方を提案し、ITベンダーには効果的な営業手法などをトレーニングするサービスを提供する。
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