視点
「DXという言葉遊び」はそろそろ止めたらどうだろう
2021/03/19 09:00
週刊BCN 2021年03月15日vol.1866掲載
ただ、デジタル技術を使えばいいということではない。人の経験や勘に頼っていた判断をデータに基づく判断に変えなくてはならない。何カ月もかかる稟議で物事を決めるのではなく、可能な限り現場に判断を委ね、変化に俊敏に対応できるようにしなくてはならない。さらには、働き方の選択肢を広げ、従業員の能力を最大限に引き出せるようにすべきだろう。
このように「技術ではない」ことが相当にある。当然、当事者であるお客様自身がやらなくてはならず、ITベンダーやSI事業者にできることは限られている。
そんな、DXの本質を見極めることなく、自社の製品やサービス、あるいは工数を提供する好機と捉え、DXを看板に掲げることに、どんな意味があるのだろうか。
「お客様と社員の幸せに貢献することで業績を改善する」。DXであるかどうかはともかく、企業活動の目指す姿は、この言葉に集約されるはずだ。流行している言葉を掲げて注目を集め、あわよくば受注のきっかけにしたい――。DXという言葉に、そんな思いが託されているとすれば、なんとも残念な話だ。
「DX案件」や「DX事業」というカテゴリ分けをしようというのも止めたほうがいい。DXとは何かを曖昧なままにして、恣意的な解釈で、「これは、DX案件」「こちらは、DX事業」と仕分けをしても、それによって業績が改善することはない。DXに取り組んでいるとして社内的なつじつま合わせをするなど、言葉遊びに過ぎない。
DXという看板を掲げなければ、仕事のきっかけがつかめないと考えているのであれば、それは、看板を掲げても無理な話だ。
「お客様と社員の幸せに貢献することで業績を改善する」ことに、ひたむきになることだ。「お客様のDXに貢献します」などと自分から叫ばなくても、世間は、そんな会社を評価して仕事の依頼をしてくるだろう。それこそが、DXビジネスの「あるべき姿」ではないか。
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