視点

ホーチミン地下鉄1号線の開通物語

2025/02/05 09:00

週刊BCN 2025年02月03日vol.2046掲載

 2024年12月22日、ベトナム初の地下鉄となるホーチミン地下鉄1号線が開通した。着工から12年、都心のベンダン駅からスオイティエン駅までの14駅、距離は19.7キロメートルで、総予算2700億円(87%が日本からのODA)をかけた一大プロジェクトである。

 この日私は開通式典に参列し、始発のベンダン駅から乗ろうとしたが、試乗したい人々が改札口から地上の公園にまで延々と長蛇の列。ほぼ300メートルはあったように思う。

 これでは乗るのは無理だと諦め、隣のオペラハウス駅まで歩いた。ここは行列がそれほどでなく乗れた。ここからが面白い。乗車後、各駅から人が乗ってくるが、降りる人がいない。だんだんと混み始め、私が乗って電車はついに六つめの駅から満員となった。それでも誰からも苦情は出ない。なぜなら、乗客はどこかに行くために乗っているわけではなく、試乗のために地下鉄に乗っているからだ。

 終点のスオイティエン駅に到着しても3割程度しか降りない。そのまま乗っている。私は取りあえず降り、駅構内を探索した後、再び乗車した。ベンダン駅に戻っても3割程度は降りない。どうも2往復する人もいるようだ。日本最初の地下鉄の銀座線が開通した時も同じようだったのだろう、と感じた。

 この地下鉄は、もともとは18年に開業の予定であったが、土地収用や立ち退き交渉をはじめ各種手続きの遅延などで6年遅れた。グエン・フー・チェン前書記長が腐敗防止に熱心で、次々と政府高官などを摘発していた時期と地下鉄の工事期間が重なる。社会主義国は各種手続きとリベートがコインの裏表となっており、腐敗防止をやり過ぎると手続きが動かなくなる。中でも他の国の地下鉄に比べて一番時間を要したのが防災、消防などのローリスク・ノーリターン部門の手続きの遅れである。

 ついには、鉄道システムを一括受注していた日立製作所からホーチミン人民委員会に対して、ベトナム国際仲裁センターへプロジェクトの遅れによる損害賠償246億円を請求されるまでになった。しかし、運営会社は社員への給料が遅延するほど資金的にも追い込まれていた。そこでこれも異例であるが、すでに工事は完成しているにもかかわらず、23年12月に日本政府から4度目の借款412億円が行われ、やっと開業にこぎつけた。

 
アジアビジネス探索者 増田辰弘
増田 辰弘(ますだ たつひろ)
 1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。
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