視点
アジアビジネス探索者 増田辰弘
2020/11/06 09:00
週刊BCN 2020年11月02日vol.1848掲載
この時期に高い業績を維持している企業は、高品質な製品が作れる、ITシステムが整備され売り場と生産現場が直結、ネット販売が得意で広報が巧み、ニーズの把握が科学的、経営者が謙虚で社員に寄り添っている――。今の時代、これらすべての項目が揃わないと好調という二文字は出てこない。
同社はスーツをオーダーで作り販売する会社である。工場を中国と宮城県に置き、店舗は全国に55店舗を展開している。創業は古く1923年で現在の佐田展隆社長が四代目にあたる。よく三代目で会社は潰れると言われるが、四代目が再興した稀有なケースである。普通、四代目ともなると育ちが良い“ボンボン”のせいか、おおらかで馬力が乏しいというのが定説であるが、佐田社長はまったく逆で、ひと昔前の経営者に似たような馬力と執念を感じさせる。
例えば広報。佐田社長はオーダースーツSADAを世の中に知らしめたいと新聞各社に毎月1回の新製品情報などを送付した。しかし何回やっても駄目だった。あるとき「経済部御中じゃ駄目だよ。特定の記者でなければ記事にはならないよ」「どこで記者と知り合うのですか」「経済団体の会合などに出て名刺交換をするのだよ」。まさにイチから教わり佐田社長は愚直に実践した。名刺はたまった。そこに毎月送るがそれでも記事にならない。記事になり出したのは「もう送るのはやめてくれ」と苦情が出だしてからである。
一紙に出ると、今度は連鎖反応的で面白いように記事になる。そうすると「カンブリア宮殿」などテレビやラジオからも声がかかる。今では「御社の広報戦略をお聞きしたい」と訪問客がやってくるまでになった。
ここまでのあくなき執念はどこから生まれるのか。それは彼が一度同社の経営不振の責任を取って去ったが、社員と金融機関のたっての要請で再登板した、言わば出戻り社長であることだ。社長が戻ってくるのが分かったとき社員は乾杯して喜んだ。その顛末は佐田社長の近著「迷ったら茨の道を行け」(ダイアモンド社)に記されている。一度地獄の底を見た男のリベンジである。並みの覚悟ではない。
- 1