皆さんはどのようにしてコンピューター・プログラミングを学ばれたのだろうか?私が初めて学んだのは、大学2年の数値解析の講義を通じてであった。その最初の講義で、担当教員がガウス・ザイデル法という連立方程式の解法の説明をした後、私に向かって唐突に、そのFORTRANプログラムを書いて翌週教室で配布するようにと指示してきたのである。
コンピューターどころかカードパンチャーという入力装置の使い方さえ知らなかった私は途方に暮れて、その教員にいろいろと質問を試みたが、細かなことは電算室の人に尋ねるようにとかわされてしまった。それからの一週間は、講義時間以外は夜遅くまで電算室に詰めて、だれかれ構わず稚拙な質問を繰り返し、試行錯誤を重ねることで、何とか数十行のFORTRANプログラムを書き上げたことを思い出す。
こんなことを書いたのは、大学におけるプログラミング教育が、いまだにこれに似た方法で行われているからである。典型的と思える講義は、プログラム例を提示し、それについて構文法や意味解釈の解説を行い、プログラミングの課題を課し、講義の進捗度に応じて課題の難易度や頻度を調整するという方法だ。ここでは暗黙のうちに、受講生が自らの努力を重ねてプログラミング技術を身につけるように求められる。比較的にスキルの高いエンジニアたちに聞くと、こうして得られたプログラミング知識はごく限られたもので、ほとんどは自らの努力で身につけたものだと言い切る。
卒業生を受け入れる企業側も、大学でのプログラミング教育の効果には期待していないようで、実務に必要なレベルのスキルを身につけさせるための研修を行なっている。さらに企業内では、専門資格の取得を推奨し、組織生産性を高めるために専門技術に応じた分業化が行われる。こうして、ほとんどのエンジニアたちが、2~3の限られたプログラミング言語と取得した技術資格に縛られる形で、特定の現場で長い年月を過ごすことになる。そして、新たな技術的変化についていけない環境に身を置く自分に不安を抱きつつ、新たな技術を自ら学習し、理解するための基礎的な素養を身につける機会を得られなかった我身を悔やむ。いまもエンジニアの悩みは変わっていない。
株式会社SENTAN 代表取締役 松田利夫
略歴

松田 利夫(まつだ としお)
1947年10月、東京都八王子市生まれ。77年、慶應義塾大学工学研究科博士課程管理工学専攻単位取得後退学。東京理科大学理工学部情報科学科助手を経て、山梨学院大学経営情報学部助教授、教授を歴任。90年代に日本語ドメインサービス事業を立ち上げる。以降、ASP、SaaS、クラウドの啓蒙団体設立に参加。現在、「一般社団法人 みんなのクラウド」の理事を務める。