まず、タイへの進出先だがBOI(タイ王国投資委員会)認可の輸出用工業団地であるナワナコーンやアマタの団地ではなく、バンコク市内それも合弁の単独立地である。これを1996年にやるからすごい話である。
このことは何を意味するのか。当時は多くが輸出目的でタイに進出した。タイで自動車やエアコンを作り、大消費地である欧米に輸出するためであった。しかし、BOI認可の工業団地ではタイ国内で製品を販売することが出来ない。そのために現在ではもう1社内販用の会社をつくるケースが増えている。同社はこれを先取りしていたわけであるが、これだけではない。設置した工場にはある住宅団地を購入し、3階まで改装して工場にし、上の4階、5階は社員の住宅とした。
タイでは現在失業率が実質ゼロ%の人手不足であり、中小企業がバンコク市内で2交代勤務の社員200人を確保しておくのは決して容易なことではない。ところが同社はこの単独立地、社宅のお陰で社員の確保に苦労したことはないという。彼らが20年以上も棲み着いているだけに、確かに見かけは決して綺麗ではない。
もうひとつすごいのが、工場生産管理システムである。これは現地社員が開発したものだが、工場の各ラインに当日の生産量と達成率が大きな画面でリアルタイムに見れるようになっている。どこのラインの生産が遅れているのか、どこのラインが順調なのかが誰にでもわかる。
私は日本で多くの工場を見たが、ここまで細かく生産ラインごとにリアルタイムで当日の生産量と達成率が表示されている現場を知らない。多分、日本人は繊細なだけに異常な緊張感を生むからであろう。ところが、南国気質のタイ人ワーカーだと、このシステムが適度な刺激になるようだ。
紙面の都合でフイリピンの事例は述べることはできないが、その国に応じてパートナー、製品、販路、生産管理をたくみに組み換え柔軟に運営して行く土着的経営姿勢はみごとである。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴

増田 辰弘(ますだ たつひろ)
1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。2001年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。