先日、中学校の最後の同窓会(本当に最後になるかどうかはわからないが)ということで、島根県の隠岐の島に帰ってきた。故郷の島は隠岐の島でも一番小さな島、人口わずか600人の知夫里島である。久しぶりに帰ってびっくりしたのは、かなりの人間がパソコンを使いこなしていることである。多くの島民が通販で商品を買い、キップを予約し、映画を観たり、音楽を聴いたりしている。
島では輸送費がかかるのと競争があまりないため、物価が高い。ところが、通販で買う限りは孤島であるからといって値段が高い訳ではない。特別な輸送費がかかるわけでもない。島では容易に手に入らない商品も多い。都会と異なりネットが不可欠になっているのだ。
そういえば、ある隠岐の島出身者の会合で、隣の席に総務省の役人が座っていて「光ファイバーの予算措置をしています」と言っていたことを思い出した。その時私は、そんなことに数億円もかけるなら、現金収入の少ないところだから1人100万円でも現金を配ってあげたほうがよいのにと思っていたが、大きな誤りであることに気づいた。
ただ、パソコンに無縁の人も多く、同じ島のなかでの情報格差がすさまじい。この情報格差は実に興味深い景色を生み出している。昭和はおろか明治時代のような古びた、習慣、因習で生きる人間と現代のネット社会で生きる人間が同居しているのだ。過疎問題、限界集落という今日的課題は前者の古びた、習慣、因習で生きる人間の話で、後者はネットビジネスもやっているし、フェイスブックもやっている。田舎で都会の生活を楽しんでいる。寝たきりなどになると問題だが、これも重度の状態になると島では対処できず本土に行く。島は健常者のみの社会なので、過疎問題、限界集落もあまり関係がない。
設備の整わない民宿でも、知名度のない水産加工会社でもきちんとした製品をつくり、サービスをしている限り、ネットと口コミでそれなりの戦いはできる。これまでの過疎地域のビジネスとは異なる形で進行しているのだ。
30年経るとどうなるであろうか。パソコン、スマートフォンが使えない層のほとんどがこの世を去っている。都会はともかくこんな過疎地域は、ネットをうまく活用できる人だけの社会になる。全国の津々浦々が成熟した大人の都市型社会となる。情報化とはこんな側面もある。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。