カンボジアの首都、プノンペンでなるほどとうならせるビジネスを発見した。カンボジアに進出している日本のITベンチャー会社(仮にFK社としておく)は、法的な手続きを取った正式な法人ではない。といって、駐在事務所でもない。同社のJ・Y氏(日本人)がカンボジア事業管理責任者として赴任しているだけで、現地では個人事業者の立場である。プノンペン市内にある3階建てのオフィス兼作業場では、10人ほどのソフトウェア技術者が熱心に仕事をしている。しかし、彼らはFK社の社員ではない。カンボジアの会社ではないのだから、当然ながら雇用はできない。作業場で働く彼らもまた、個人事業者なのである。日本でいえば、事業共同組合のようなイメージである。
個人事業者が11人集まって同じ仕事をしている。日本企業から発注されるアミューズメント関係のデザインに関する仕事が多い。一応、午前8時から午後6時まで一緒に仕事をする取り決めにしている。仕事の内容は、高度な技術を要するものは少なく、各国共通のデザイン系が多い。仕事の契約は日本のユーザーとFK社の間で結ぶだけで、個人事業者とは交わさない。各自に口頭で仕事を発注し、出来高に応じて支払いを行う仕組みである。Y氏はそれほどクメール語が話せるわけではないので、仕事をするうえで言葉の問題はどうするのかと思うが、3人ほど日本語が話せる人間がいて、彼らが通訳も兼務している。カンボジアは労務管理が大変難しい。離職率が高く、ストライキも多い。しかし、FK社では、能力的に問題がある人に辞めてもらったケース以外には、デザインの仕事がイヤだといって自ら辞める人はいないそうだ。もちろん、このソフトウェアの受託事業が現地の法規に触れるわけではない。
受託の単価は日本の3分の1で、コストパフォーマンスは非常に高い。これまでFK社が支払った経費は、Y氏の旅費、滞在費、オフィス兼作業場の家賃、中古の乗用車1台と10台のパソコンの購入費、それに毎日彼らが炊事をして食事をする米、野菜などの食材費などの雑費ぐらいである。
Y氏は、「今のところは、事業のうま味を最大限に享受している状況です。しかし、このやり方は私が全体を見渡せる20人が限界なのです。その規模になった時にこのままやるのか、会社にするのかが分岐点となりますね」と語る。事業を冷静に捉えているところもすばらしい。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。