視点
ソーシャルな時代を生成する鍵
2013/01/17 16:41
週刊BCN 2013年01月14日vol.1464掲載
素材は「食事と子どもと自然」が大半を占める。今晩の料理であり、戯れる子どもたちであり、季節感にあふれた草花といったありふれた情報がほとんどだ。しかし、撮影した写真をアップし、語り合う人たちとリアルなやりとりを通していくと、平凡とされる素材の奥にそれぞれの生活史があり、地域固有の風習があり、大垣や岐阜が長い歴史のなかで培ってきた地方文化が根強く守られていることがわかる。重要なことは、それが過去の郷愁ではなく、今・ここで「わたしたちの時代」として語られているという事実である。
岐阜も大垣もメインロード沿いには、どの中小都市にも見られるディスカウントショップやファミレスがひしめいている。この風景をみるかぎり、「地方特有の風情は消滅した」と刻印されるし、その認識が間違っているわけでもない。しかし、それとは対照的に、「わたしたちの時代」で目にする風景は、ファミレスとは異なるその家族ならではの食卓の賑わいであり、泥んこになった子どもがカメラに向けて発する元気な素顔なのだ。また、これ以上の美しさがあるかと思えるほどの紅葉の景色、しかもそれが普通の家のちょっとした風景として切り取られた美しさである。ここには、普通の、しかし奥行きをもった風情がある。
ソーシャルトークには、自分の日常を可視化するフィルターを通すことで、気づかなかった小さなリアルが掘り起こされ、しかもそれが「わたしたちの時代」として共有され、了解される状況が生み出される、という仕掛けがあるようだ。このような小さな公共的な了解をいかに連鎖させていくか、それがソーシャルな時代を生成する鍵だと思う。
政治の世界がソーシャルトークをしていれば、無意味な公約を叫ぶことなく、身近な文化から日本の今を構成できるのにと、選挙速報を見ながらつぶやいた。
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