視点

政治家の二面性とソーシャルメディア

2012/08/02 16:41

週刊BCN 2012年07月30日vol.1442掲載

 政治家はマニフェストを公にして選挙を戦い、マスメディアはその成果を監視して、守らない政権を批判する──というのが政治とマスメディアのいつもの関係である。

 ところで、政治家は、市民の選挙で選ばれることによって、公職に就いて活躍する公人となり、同時に、選ばれたがゆえに、一定の権力の行使を正当化された者となる。この二つの役割を政治情報との関連から捉えると、まず、公人であることを優先すれば、公の情報を扱う以上、その公開は必然である。公の情報はすべての市民に共有されるべきであり、その操作や意思決定のプロセスまでも公開することが政治家らしい振る舞いとなる。

 他方、権力者だとすると、公の情報を所有し、それを駆使して公のために権力を駆使することが正当化される。とすると、公の情報だからこそ公開しないで、政治家という権力者のみがそれを所有し、そのことで公の目的の実現に貢献することが期待される。ここには、公だから非公開という論理が成立する。政治家は、多くの場合、権力者の役割こそ優先されると信じ、自分が所有する公の情報を効果的に操作することこそが政治家らしいと確信している。その場合、情報を公開するためにはマスメディアを活用し、マスメディアとのある種の暗黙のルールの下で、市民社会に対する権力の有効利用を図っている。とすると、マニフェストは、権力者としての政治家とマスメディアとの信頼関係のもとに公にされ、そしてチェックされる関係から生み出される成果だといえよう。

 しかし、現在、フェイスブックのようなソーシャルメディアを活用して、公人としての立場から、多くの政治情報を市民に直接かつ対話的に公開する政治家が増えつつある。岐阜県でも、幾人かの政治家によって、彼らの日常的な政治活動がいかに市民と同じ目線で実行され、また政治の専門家としてどの立場から政策の立案から議決までに関与しているか、実に詳しい情報が提供されている。ここにはマニフェスト政治を超えて、新しい民主政治のあり方を予感させる何かがある。公人としての政治家はソーシャルメディアの時代にこそ求められる政治家のスタイルであり、ここに政治の原点を据えるならば、不毛なマニフェスト論議を超えて、「市民の生活が第一」の政治マップが描けるのでは、と期待するのだが。
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