視点
台頭するインターネット理念への挑戦
2009/09/07 16:41
週刊BCN 2009年08月31日vol.1298掲載
イランの選挙操作疑惑に端を発する民主化運動や中国ウルムチでの民族デモの際のネット規制は、ネット上で育まれる対抗公共圏に対する為政者の危惧の高まりを再確認させるものだったが、同じ文脈で「ついにそこまできたか」と驚かされたものに、6月初旬、突如打ち出された中国政府の通達がある。「7月1日から中国で発売されるすべてのPCに“Green Dam Youth Escort”というフィルタリング・ソフトをプリインストールしなければならない」というこの措置は、子どもたちを有害情報から保護するという名目にもかかわらず、ネット上を行き交う情報の(ペアレント・コントロールならぬ)ステート・コントロールを可能にしたいとする国家意志を印象づけた。
このようなあからさまなコントロールは、国家だけではなく、私企業の行為にもある。7月、Amazonは著作権上の問題が生じたとして、自社の電子ブック装置「Kindle」ユーザーの既購入書籍を読者サーバーから削除し、結果としてそれに同期する「Kindle」からも購入書籍が抹消されるという「事件」があった。Amazon は購入代金を返却したものの、削除された書籍がジョージ・オーウェルの小説『1984年』だったという偶然も重なって、「バーンズ・アンド・ノーブルが夜中に忍び込み、ベッドサイドに小切手を置き、読みかけの本を持ち去るようなものだ」と論評するメディアもあった。
一方、フランスではこの5月、違法コピー行為を取り締まる行政機関を設置し、この機関に「2回の警告後も違法行為を続ける者に対し、2か月ないし1年間のインターネット接続を遮断しうる」権限を賦与し、さらに該当者をブラックリストに載せ、プロバイダの乗り換えをも不可能にするという法律(スリーストライク法)が国民議会で可決された。結局、この法律は憲法評議会によって違憲とされ、施行されることはなかったが、そのアグレッシブな立法姿勢はさまざまな議論を巻き起こしている。
インターネットのあり方が一部の利害関係者によって意のままにされかねないということを示唆するこの一連の出来事が、ネットに拡散する「息苦しさ」を論じてみようと思った背景にある。
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