視点
広告費の投下スタイル革命が意味するもの
2009/02/02 16:41
週刊BCN 2009年02月02日vol.1270掲載
その象徴的出来事は、昨年末明らかになった、民放テレビ各局の本年度中間連結決算における赤字転落ないし大幅減益であった。既存マスメディアに迫る「構造的危機」の要因については、これまで受け手の「○○ばなれ」のせい、いまひとつは広告主のインターネット移行のせいだと語られてきた。これら二つの認識はいずれも正しく、それぞれ深めなければならない論点は多いが、今回は、後者の要因をめぐり、なかば自明だが重要と思われる一点について考えてみたい。
二十世紀を通じ、広告の中核的部分は「広告媒体」としてのマスメディアに依存(あえていえば寄生)してきた。別の言い方をすれば、広告は、出版・新聞・放送といった、何らかの情報サービスに「付随」して提供され、結果として、常に「添え物」であることに甘んじて来たといえよう。問題は、インターネットに軸足を移しはじめた広告主の広告費投入スタイルが、明らかに二十世紀的広告へのそれとは大きく異なるものになりつつあることだ。もし、このようなスタイル転換がなければ、例えば、紙媒体の新聞が電子新聞に変わっても、広告主は、忠実にそれについていくはずなのに、現実はそうなっていない。
広告主が熱い視線を送るネット広告とは、消費行動に直結した、あるいはそれを高確率で触発できるような、いわば「自立した狭告」なのである。ネット上で収集できる、消費者一人ひとりの消費・情報行動データをもとに「狭告」が打て、しかも広告効果の数値的検証が可能とされるネット広告は、広告主にとってきわめて魅力的に映っているはずだ。
しかしこのことは、広告主がネット上での「狭告」の魅力に惹かれれば惹かれるほど、「アド・サポーテッド」によりこれまで成立してきた既存マスメディアの存立基盤が根底から揺さぶられ、ひいては、そうしたメディアが生み出してきた文化そのものの存続が危うくなってくることを意味する。こうしたいわば文明史的事態をどう受け止めていくか、冒頭の認識に立てば、この問いへの対応はそう先延ばしにできないものに思われる。
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