視点

データ放送の活路を「執念」で開く

2008/11/17 16:41

週刊BCN 2008年11月17日vol.1260掲載

 現在、データ放送の現状と可能性を探る研究プロジェクトに関わっている。その一環として、今夏、金沢の複数民放局を見学させていただくとともに、データ放送の運用関連システムのベンダー数社の方々のお話を伺うことができた。

 告白すれば、実は筆者は「データ放送に未来はない」と考えてきた者である。それは繰り返しそのメディアとしての可能性が声高に喧伝されながら、ニッチな地位に置かれ続けてきたデータ放送の長い歴史を、私自身目の当たりにしてきたからであり、さらに、日常にインターネットや携帯電話がらみの情報サービスが広く深く浸透している今日、それらと差別化を図りつつ、データ放送がその固有性をいかに発揮できるのかに深い疑念を抱いていたからである。


 その結果として筆者とデータ放送との「付き合い」は長い間疎遠なものであった。そんななかでの金沢行であったが、そこで得られた主な知見は以下の二点であった。まず実際に使ってみて認識を新たにしたのは、アクセス時の予想以上の快適さである。データ放送の運用システムは様々なベンダーによるものだから、限られた経験からの一般化は避けなければならないが、テキストのみならず、動画も含めインタフェース面からの不都合は感じられなかった。


 だとすれば、問題はコンテンツということになるが、この点に関し、重要なヒントを得たのは、金沢に本社を置くベンチャー企業、yoozmaの野口社長のプレゼンからであった。自分のことはさておき、地域のためにがんばる人を意味する方言「よすま」に由来するこの会社は、その事業の一つとして、複数ケーブルテレビ会社にデータ放送運用支援システムを供給するのみならず、コンテンツのプランニングをも請け負っている。野口社長の話を聞きながら、地域情報化に長年にわたり関わってきた筆者にとって印象深かったことは、運用システムの開発と同程度に、あるいはそれ以上にコンテンツ生成に同社が注いでいる「執念」のようなものである。そうした執念は、筆者の故郷、新潟県柏崎市のホームページを含め、同社が納入している様々な成果物のうちに見て取れるところである。


 こうした地道で骨の折れるコンテンツ生成努力の成果がデータ放送、とりわけ市町村規模で展開しているケーブルテレビのデータ放送という器に盛り込まれていけば、データ放送が地域住民に歓迎される独自サービスになり得るとの感触を今回の調査行で持つに至ったのである。

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