視点

問題なのは人間の「連想力」

2008/06/16 16:41

週刊BCN 2008年06月16日vol.1239掲載

 今日のコンピュータ文化を先導したV・ブッシュ、D・エンゲルバート、T・ネルソンといった先駆者達に共通して認められるキーワードに、オーグメンテーション(拡張・強化)と アソシエーション(連想)の二語がある。彼らが構想したのは、大量の情報を固有の「形式」のもとに集積しつつ、「連想」のおもむくままに情報を自在に再構成することを可能にする思考「拡張」マシーンであった。そして今日、そのようなものとしての「マシーン」が幅広く現実となり、しかも、その可能性は日々拡張し続けていることは間違いない。問題なのは、そうした「マシーン」を使いこなす肝心の私たち人間の「連想」力である。

 片道一時間半ほどの電車通勤を強いられているわたしにとって、日々目にする車内広告は、世相をさぐる手がかりとして重宝なものなのだが、そのなかのひとつに日能研の「□(シカク)い頭を○(マル)くする」というシリーズ広告がある。その5月版で紹介されたのは、以下のような、カリタス女子中学校の今年度入試(問題)であった。

 ──あなたは「織田信長」を主人公としたテレビドラマの台本を書くことになり、制作責任者から「みんなのイメージと違った『信長』を登場させて視聴者を驚かせてください」と注文を出されました。あなたは「織田信長」に対する「みんなのイメージを」どのようなものと考え、「それと違った」どのような「織田信長」を描いて「視聴者を驚かせ」ますか。あなたの考えを述べなさい。──

 「受験生が持つ知識と発想力の両面を同時に見ることができる、これまでにあまりないタイプの問題です」との解説が日能研サイトにあるが、これは好問題であると同時にかなりの難問だ。すなわち、この問題は、まず日頃蓄積してきた知見をもとに人口に膾炙(かいしゃ)される信長像を「連想」できるか、次いで今日のテレビ視聴者を「連想」しつつ、彼らを驚かせる信長像を「連想」できるかと、連想力を何重にも問うているのである。

 昨今、「応用力」不足が問題とされる公教育レベルの子供達は言うに及ばず、時として検索エンジンに入力すべき的確なキーワードを「連想」できない大学生が、この問題にどう答えるか──そんな意地悪な関心が私にはある。「使われることを待っている」思考拡張マシーンが、実際に、どれくらい「使いこなされて」いるか、わたしたちは「連想力」(斉藤孝氏の用語を借りれば「文脈力」)の現在に目を向ける必要がある。
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