ITジュニアの群像
最終回 富山県立富山工業高校
2008/03/31 20:45
週刊BCN 2008年03月31日vol.1229掲載
衰退クラブから一転、高校プロコン制す
勝因は事前準備と状況判断力
富山工業高等学校は、第28回全国高校生プログラミングコンテスト(2007年10月28日、さいたま文学館で開催)において、初出場で初優勝という快挙をなし遂げ、BCN主催の「ITジュニア賞 2008」を受賞した。出場母体となったコンピュータ部はプロコンでの優勝によって一躍脚光を浴びるようになった。今回はその部活動を紹介しつつ、優勝までの経緯、勝因となった事前の準備や状況判断力など、強さの秘密に迫った。(佐々木潔●取材/文)低迷からの復活を目指し、今年から活動目標を設定
富山工高のパソコン部は部員が12名で各学年ほぼ均等に在籍しているが、このところは沈滞気味で、対外的にはもちろん、校内でも存在感が希薄になっていた。そこに顧問として就任したのが杉原正樹先生(電気科教諭)と和田晋一先生(機械科実習助手)の2人である。和田先生は同校から富山大学に進学し、卒業して母校に赴任。同部が電気研究部と名乗っていた頃に、パソコン班に所属していたというから二重の意味でOBに当たる。
活発なクラブは部員数も予算の割り当ても増えるが、衰退しつつあるクラブは部員数が減り、予算も削られるから活動が沈滞するという悪循環に陥りやすい。そこで、昨年4月に顧問に就いた杉原先生は、活動目標を設定して部の活性化を図ろうと、資格取得や外部の大会への出場を持ちかけた。資格取得はパソコン検定と初級シスアドに決めたが、このところ対外活動をやっていなかったことから、どの大会に参加したらいいものか分からず、情報収集から始めたというのが実情だった。
まず、全国的にも参加校が多いIT簿記選手権の北陸地区大会(福井・石川・富山)にエントリー。1─2年生が出場する新人戦で団体部門3位、個人部門2人入賞、3年生が出場する本戦で優秀賞を獲得するというまずまずの成績を収めた。3年生は夏で退部するため、これが彼らにとって最初で最後の大会となった。そして、2年生以下が中心になって参加できる大会と位置づけて臨んだ高校プロコンでは、なんと初出場で優勝をさらってしまったのである。
高校プロコンの出場者は山崎将平さん、河浦卓哉さん、浦田一輝さん。いずれも情報技術科の2年生である。まず、リーダー格の山崎さんが前大会のプログラムを公式サイトから入手。3人で数種類のプログラムの総当たり戦をやってみて、プログラムの傾向と強弱を判断し、山崎さんが今大会仕様に沿った基本プログラムを作成した。そのプログラムを「むりやり前回の仕様に書き換え、前大会のプログラムと総当たり戦をかけたら7─8割の勝率だったので、これで何とかなるだろうと考えました」(山崎さん)。
他校の戦いを冷静に観察 初出場で初優勝を遂げる
高校プロコンの課題は「ターゲットサーチ2007」。対戦する2チームが直線上に陣取り、ボールを投げるたびにサーバーから返される値を元に相手の位置(ターゲット)を推測し、ボールを先に相手陣に命中させたほうを勝ちとする競技だ。戦い方としては、(1)自陣を動かさずにボールを投げる(2)「自陣を動かす」か「ボールを投げるか」を選択する(3)「ボールを投げる」か「投げずにボールを肥大化」を選択する…の3通りがメインとなる。
結果は、初戦で久喜工高(埼玉)に2─1とてこずったものの、準決勝の日立工高(茨城)戦、決勝の那須青峰(栃木)戦ともに2─0と相手を寄せ付けなかった。山崎さんの予想では、(1)のプログラムが汎用性に富んでいてどんなタイプのプログラムとも戦えるはずだったが、他校の戦いを眺めるうちに(1)の苦戦が明らかになったので、(2)の「自陣を動かしながら攻める」、(3)の「ボールをひたすら大きくして位置の誤差を埋める」を、差し替えながら戦ったそうである。
大会での勝利は、準備に加えて冷静な状況判断によるものだった。富山工高チームには、他校が繰り出すプログラムの傾向がほとんど読めていて、山崎さんによれば、「複数のプログラムを差し替えつつ戦うのではなく、一つのプログラムを微調整しながら戦うチームが多かった」ようだ。他校同士の対戦を欠かさず観戦し、自分たちの戦い方を想定したのはもちろん、事前に事務局の許可を得て、持参したPCをサーバーに接続して動作を確認するなど、準備も万全だった。持ち込んだPCをサーバーに接続できず、タイムアップにより敗退するチームが続出したのとはまさに対照的だった。
部活のてこ入れ元年の「初出場・初優勝」という快挙だったが、クラブの活性化という道のりは始まったばかりだ。さし当たり2008年度は会津大学で行われる「パソコン甲子園」にエントリーしたいという。
山崎さんと浦田さんは進学をめざし、河浦さんはシステム関連の就職を希望する。進学も就職も、決定時期が高校プロコンと重なるため、今回のメンバーがエントリーするかどうか未定だが、山崎さんは「僕が出るかどうかにかかわらず、連覇を目指します」と語る。どうやら、下級生の中に有力な“隠し玉”がいそうな気配だ。
地元の期待が大、求人倍率5倍を誇る 北慎吾校長
富山工業高校のルーツは大正5年開校の市立富山工業学校と、昭和14年設立の県立富山工業学校。戦後の学制改革によって改称・統廃合が繰り返され、昭和26年に現在の形となった。“自他敬愛 進取敢行”を校訓に、産業界に送り出した卒業生は2万8000名に及ぶ。
「日本一暮らしやすい県」で知られる富山県は長男が親元に残る土地柄で、同校の卒業生も製造業の盛んな地元へ就職する割合が高い。当然、地場の企業からは期待も大きく、北慎吾校長によれば「求人倍率は5倍前後で推移し、就活解禁の9月中旬から1か月半で、就職希望者全員の就職先が決まる」という。富山県では工業高校6校を4校に再編する方針だが、団塊世代の大量退職時代を迎え工業科だけは定員比率が維持される見通しだ。最近では進学者も増えて30-40%の卒業生が、富山大、富山県立大、高専、北陸能開大などへ進学する。部活が盛んでラグビー部は今年度全国大会に出場。サッカー部も強豪校として知られる。
コンピュータ部員の多くが所属する情報技術課は平成4年に設置された。同校では機械系の学科として位置づけられ、機械制御・ハードウェア寄りの課程が組まれている。高校プロコンへの出場は年度初めの予算編成を過ぎてから決まったため、部員たちは自費で参加。優勝を持ち帰った後で経費が精算され、チームとして同窓会から表彰されたそうである。
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