IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱
<IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱>第33回 まずは下請け平原の地質改良
2007/11/26 16:04
週刊BCN 2007年11月26日vol.1213掲載
拭えない個人利益優先体質
30年前と変わらない
「結局、30年前と少しも変わっていないじゃないですか」──先に行われた情報サービス産業協会の会長会見で、記者席から手厳しい指摘が飛んだ。システム開発の上流工程に食い込めない、人材がいない、ユーザーが求めるソフトウェアの品質と信頼性に対応できていない、おまけに「3K」などと呼ばれても業界は沈黙を通している。浜口友一会長が掲げる「魅力ある産業づくり」はいつまで経っても形が見えない。そのいら立ちが冒頭の言葉になったのだ。
いや、30年前のほうがまだマシだったかもしれない。1970年代末から80年代前半にかけて、いまのSI業界は「情報処理業」と呼ばれていた。企業数は全国で2000社足らず、年間売上高は1兆円にも満たなかった。
「見渡せば従業員が100人にもならない中小企業の集まりだった。これからどうやれば、日本の基幹産業に育成できるのか、考えただけで暗澹たる思いだった」
70年4月、旧通産省に情報処理振興課が新設されたばかりの頃を、平松守彦氏(当時課長、のち大分県知事)は回顧する。
「ソフトウェアと言えば、ソフト帽やソフトクリームを連想するのが当たり前の時代。国会議員に情報産業を振興する、と言うと、『キミはスパイを育成して産業にしていこうというのか』と疑われた。しかし業界の人たちは元気いっぱいだったな」
回顧談から将来をみる
この連載の最初のころに登場した服部正(構造計画研究所)、下條武男(日本コンピュータ・ダイナミクス)、丸森隆吾(SRA)、大久保茂(コンピュータアプリケーションズ)、伊藤正之(日本タイムシェア)、大川功(コンピューターサービス)、金岡幸二(インテック)、西尾出(日本ナレッジインダストリ)、松尾三郎(日本電子開発)・・・など、錚々たる顔ぶれがそろっていた。
「ソフトウェアの仕事ができるなら面白そうだ」と考えて、この業界に飛び込んできた若者も少なくなかった。仕事である以上、きついことはきつかった。
「何せ、コンピュータが空くのは夜間しかない。プログラムをテストするのは夜の10時から明け方まで。通常業務が終わるのを近くの麻雀屋で待ち、徹夜でデバッグ作業をする毎日だった」
SRA七人衆の一人で、現在はオープンテクノロジーズを経営する三田守久氏は言う。
「当時はね、システムが単純だったのと、ハードウェアの性能が低かったからこそ、プログラマの力が発揮できた。つまり「顔」が見えた」
日本コンピュータ・ダイナミクスの下條武男氏(現会長)は指摘する。下條氏も大阪大学を卒業し、コンピュータに憧れてこの世界に飛び込んできた一人だ。
「ある意味では、今のSEやプログラマは可哀そうやな。自分が何をやっとるのか、よう分からん。そのくせ品質だの性能だのを求められる。システムの規模が大きくなって、複雑になっとるのに、仕様書がいい加減では、現場はたまらん」
この言葉を、ただの回顧話と聞き流してしまうと、将来のグランドデザインは描けない。下條氏の指摘は、おおむね次のように翻訳できる。
(1)システム開発の現場に入ったエンジニアの一人ひとりが、自分が何をやっているのか、立ち位置と責任範囲を理解できるようにすること。
(2)品質や信頼性を個人の技量に一任せず、組織として責任を負う体制を作ること。
(3)そのためには、発注者であるユーザーと受注者であるSIerが連携を密にし、ユーザーが何を要求しているのか(要求定義書)を明確にし、どのようなシステムを作るかの設計図(詳細設計仕様書)を明示すること。
この3点が確実にならない段階で、契約モデルや積算手法、ソフトウェア工学を云々してもはじまらない。もう一度、ゼロからやり直すつもりで取り組まないことには、にっちもさっちも行かないのが実情なのだ。
経営者の資質にも問題
一方、経営のあり方にも課題が少なくない。現在のSI業界の経営陣には、30年前はエンジニアや営業マンとして現場に張りついていた人たちが多い。むろんユーザー系、メーカー系にはノンIT系職種からの移籍組もいるし、独立系の大手には他業種からの招聘組、創業者の二世・三世がいるにせよ、全国1万6000社の圧倒的多数は似たり寄ったりといっていい。
現場で優れた能力を発揮していたエンジニア、営業マンが管理する立場や経営者になったとたん、空回りしたりミスジャッジするようになる。専門用語では、これを「階層剥離」というらしい。管理者には管理者としてのノウハウや知識が、経営者には経営者としての判断基準が必要なのだが、日本の企業風土には、そのような教育・訓練を受ける機会がない。
株式を公開している企業や親会社の管理下にある場合は別として、下請け平原を構成する従業員規模の小さな企業には、管理や経営の専門家がいない。すると何が起こるか。個人の利益を優先する発想が習い性になっていくのだ。派遣型ソフト業では、それが顕著に起こる。1人派遣すれば月いくら、と利益が計算できるからだ。
例えば、技術者1人を月額60万円で契約し、当人に毎月30万円の給与を支払うとする。賞与分や社会保険、諸雑費、管理部門の人件費などを差し引いて、月々の粗利は10万円。これが50人なら月500万円、100人なら1000万円と計算できる。経営者に「つい・・・」が出やすくなる。
自家用車を社用車として購入する。接待の名目でゴルフを楽しむ。「健康のために」というお題目がつく。これが高じるとリゾートマンション、クルーザー、絵画、債権、不動産、先物取引と際限がなくなる。バブル期に多くのソフト会社経営者が落ち込んだ罠だ。
彼らには彼らの理屈がある。
いわく、資本金を出したのは誰だ。
いわく、オレがいるから仕事が取れる。
いわく、会社の利益はオレの利益。
そう、「30年前と少しも変わっていない」のは、このことにほかならない。下請け平原の地質改良から手を打つには、外圧を利用するのがいちばんだ。その外圧が「2年後」と予測する向きがある。次号から、その「2年後」を探ってみよう。
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