ITから社会を映すNEWSを追う

<ITから社会を映すNEWSを追う>東芝が銀座ビルを売却

2007/10/08 16:04

週刊BCN 2007年10月08日vol.1206掲載

1年分の純利益を上回る金額

経営手段としては「あり」だが…

 東芝が東京・数寄屋橋の銀座ビルを1610億円で売却する。高級ブランドのティファニーも銀座に保有していた土地と建物を約380億円で売却した。景気の回復を受けてバブル経済崩壊から16年ぶりに商業地の地価が上昇、その機を逃さず都心一等地の不動産を売却して利益を上げるのも、キヤノンのように為替レートの変動で1000億円の利益を上積みするのも企業経営の手段としてもちろん「あり」。だがそれが本業であげる1年分の利益に相当するとなると、地道なモノづくりをバカバカしく思う世相の復活が懸念される。(中尾英二(評論家)●取材/文)

 「銀座東芝ビル」(東京都中央区銀座5丁目)の敷地面積は3700平方メートル、延床面積は4万2000平方メートル。オフィス部分には東芝系企業が入居しているほか、商業施設部分は「モザイク銀座阪急」として知られている。筆者もかつて取材で訪れたことがあるが、屋上に「TOSHIBA」の文字があるだけで、歩道を歩いている人は、それが東芝ビルだとはほとんど気がつかない。

 発表によると、東芝は東急不動産に総額1610億円で売却する。具体的には書類上の保有者である東芝不動産が東急不動産と共同出資で特別目的会社「スペードハウス」を設立、ここに不動産を信託して金融機関などから融資を受ける。東急不動産は既存ビルを超高層ビルに建て替える計画という。東芝は不動産売却益約1300億円を半導体や重電など事業分野への投資に割り当てる計画だ。

■NECは証券化し資金調達

 1610億円という金額は、東芝にとってどれほどの重みがあるだろうか。同社の2006年度連結決算は、売上高が前年度比12.2%増の7兆1164億円、当期利益(純利益)は75.8%増の1374億円だった。今回のビル売却額は1年分の利益をはるかに上回る。グループ16万人が額に汗して稼ぎ出す純利益とビル1棟の売却額が同等というのは大きいようでもあるが、所詮それだけのものといえなくもない。

 東芝が銀座に土地を購入したのは1932年というから、東芝が東京芝浦電気と名乗るずっと前の東京電気時代。1890(明治23)年に逓信省技官だった藤岡市助と三吉正一がその前身である白熱社(1899年東京電気に改称)を創業したのが東京・京橋だったことを考えれば、数寄屋橋に本社ビルを建てた理由も納得できる。

 ちなみに三吉正一は東京電気を設立する前は三吉電機というモーターの製造会社を東京・三田に設立していたが、経営が傾いたので工場を岩垂邦彦という人物に売却した。この岩垂こそ日本電気の創業者であり、三田の工場は旧薩摩藩邸で、現在そこにNEC本社ビル(NECスーパータワー)がそびえている。

 これも余談だが、NECも8年前に本社ビルを証券化して、900億円で売却した。日産自動車も3年前に東京・銀座の本社ビルを売却した。ただNEC、日産自動車の場合は全フロアを賃貸契約にしているので、外見上は自社ビルと変わらない。NEC本社がJR田町駅前の森永ビルに戻れば取材陣は喜ぶかもしれないが、薩摩藩邸だったことを示す赤レンガの門柱とともに、NECスーパータワーは同社のシンボルであり、すでに東京の景観の一部となっている。

 また日産自動車は横浜みなとみらい21(MM21)に本社ビルを新たに建設し、09年10月までにすべての本社機能を移す。同社にとって横浜は事業発祥の地という縁を持つ。神奈川県内にもたらす雇用効果、経済効果が期待され、MM21のイメージアップにもつながるだろう。

■ITサービス業はどこへ向かう

 東芝は港区芝浦の旧芝浦電気工場跡地に本社ビルを建設しており、銀座ビルには一部の事業部門しか入居していない。ある意味では銀座ビルは“無用の長物”ともいえるが、売却益の一部を充てるとしている半導体事業は巨額の投資が必要で、しかも「水もの」と呼ばれるほど浮き沈みが激しい。創業の地ともいっていい由緒ある土地とビルを手放す決断が吉と出るか凶と出るか。知恵者がそろっているのだから、資金調達に他の方法がなかったのか、と思わないでもない。

 9月19日、国土交通省が今年7月1日現在の都道府県地価(基準地価)を発表した。それによると、全国主要都市の商業地の平均は前年比1.0%増で、バブル経済が崩壊した92年以来16年ぶりに上昇に転じたという。東京、大阪、名古屋といった大都市での上昇率は2ケタ台の高い伸びを示しており、経営再建に取り組む不二家(本社・銀座7丁目)にとっては追い風となった。同じ銀座のビルを手放したティファニーは米国が本拠で、銀座のビルを購入したのは投資の一環だった。差額200億円を“濡れ手で粟”で手に入れたわけで、投資は大成功だったことになる。

 こうした動きで思い出すのは、何といってもバブル期の企業経営だ。本業をそっちのけに、銀行から借り入れた資金で不動産や証券を購入し、その差益で利益を計上する手法が当然のように行われた。今はすでに存在しないが、MKC(松本計算センター)はレストランチェーンを買収したものの、バブル崩壊で本業が傾き、ソランに買収されてしまった。ABC(朝日ビジネスコンサルタント)は社員の福利厚生用と称して大型クルーザーとハワイにコンドミニアムを購入、株式公開を目指したが、受注が激減して富士ソフトに吸収されている。多くのソフト会社でリストラの嵐が吹き荒れ、それが雇用の流動化を加速させた。

 気がつけばITサービス業界に、主要業務として「投資」「不動産売買」を堂々と掲げる会社も出てきている。設立したときはソフト開発が主業務だったが、現在は投資に軸足を移しているというケースもある。それも経営といえばその通りだが、安易な利益追求は創業の初心を忘れさせてしまう。それが怖い。

ズームアップ
財テク経営再びか
 
 バブル期のITサービス業は、成長産業ともてはやされたこともあって、金融機関が融資の条件を緩和した。それを資金に不動産や証券を買い、売買の差益で経営者が「社用」と称して高級外車やクルーザー、リゾートマンションを買いあさった。
 その時に得たストックは、バブル経済崩壊とともに雲散霧消してしまった。その資金が技術の高度化に振り向けられていたら、現在と違った状況が生まれていただろう。
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