ITジュニアの群像
第56回 千葉県立一宮商業高等学校
2007/08/06 20:45
週刊BCN 2007年08月06日vol.1198掲載
U-20の団体部門最優秀賞を獲得
審査員をうならせた「ぽたり de アート」
結露した窓ガラスに絵を描く遊びを表現
昨年のU-20で、団体部門最優秀賞を獲得した「ぽたり de アート」は、部屋の内と外との温度差によって結露した窓ガラスに指で落書きする遊びを、パソコン上で表現するグラフィックソフトだ。
テーマを決める時期が冬場であったため、教室の窓に発生した結露を眺めながら閃いたアイデアだった。メンバーは当時3年生だった佐藤元気さんのほか、田中真純さん、上林千音さん、中村直翔さん、石井健太さん、権田拓也さん、大浦雄祐さんの7名。開発言語はVisual Basic(VB)である。
取材当日には、卒業したメンバーを代表してリーダーの佐藤元気さんが母校を訪れ、作品の解説や実演をしてくれた。佐藤さんは、「どうしたらあんなプログラムが書けるのかと、他の人たちを驚かせるような作品にしたかった」と語るが、この意欲的なアイデアをプログラム上として表現するための苦労は並大抵ではなかったようだ。
プログラムの作成は3年生に進級する春休みから5か月間、放課後の2時間と休日6時間を費やした。分担はプログラミングに3名、グラフィックに2名、アニメーションに2名。U-20では7月末日の応募締め切り時にプログラムの添付が義務づけられているため、夏休みに3日間の合宿で、最終的な仕上げを行った。
「ぽたり de アート」は細部まで作り込まれた作品だ。まず、外気温度、室内温度、湿度を設定することによって結露(窓の曇り方)の濃淡を変化させる。水滴を本物らしく見せるために形を不規則にし、水滴のレンズ特性に応じて向こうの景色が上下反転かつ歪んで映しだされる。結露した窓ガラスに指で描くときや、結露が水滴となって垂れるときの動的な表現も、実際の結露を細かく観察してプログラムに反映させた。
9月2日の二次審査(プレゼン)では、審査委員から「一番感動したプログラム」「VBでこんな表現ができるのかと驚いた」などと称賛され、5年ぶり6度目の最優秀賞(U-20に改称されてからは初めて)を獲得した。メンバー中2人が就職し5人が進学の道を選んだ。佐藤さんは浪人中だが来春には電気通信大への入学を目指している。
プロコン挑戦を通して、上級生が下級生を指導
一宮商高の電算部は昭和46年の情報処理科設置を機会に創部され、これまで全国大会で数々の栄冠に輝いている。全国商業高等学校協会(全商)主催のプログラミングコンテストにはいつも2チームを送り出し、平成11年から6年連続で最優秀賞(第1位)と優秀賞(第2位)を独占し続けた。U-20プログラミングコンテストにも、その前身の「全国高校生・専門学校生プログラミングコンテスト」時代から継続的に応募し、昭和56年から61年まで6年連続で通産大臣賞を、また、昭和57年、61年、63年、平成2年に最優秀賞、平成13年にもコンテンツ部門最優秀賞を受賞している。この学校でコンピュータを学びたくて、遠方から通学する生徒がいるというのもうなずける話である。
現在の部員は3年生6名、2年生3名、1年生12名の計21名。うち5名は商業科の生徒である。部室を訪れるとパソコンが対面でセットされた2列の長方形のデスクに部員が整然と並び、ディスプレイを眺めながらキーボードに指を滑らせている。飲料や食べ物は持ち込み禁止で、私語を交わしたり席を離れる部員もいない。まるで、パソコンを使って試験に臨んでいるような雰囲気だが、部長を務める真角寛起さん(商業科3年生)は「いつもだいたいこんな感じです」と事もなげに語る。放課後2時間の部活動は相当に密度が濃いようだ。
クラブの顧問は米谷健治先生と鵜野澤博先生で、生徒に教えるのは1年生を対象にしたVBの講習だけ。「基礎固めはしっかり施すが、プロコンの作品には情報を提供する程度で、あとは部員の解決するに任せるというスタンスを取っている」(鵜野澤先生)。強豪校だけあって「全商に応募するプログラム開発を手伝わせることで、2年生が1年生を指導する」(真角部長)のが伝統で、学年が違ってもコミュニケーションが保たれているそうだ。
「今年のU-20、全商も1位を目指したい」と真角部長。伝統と実績に裏打ちされたクラブならではの堂々たる宣言だ。
全国に先駆けて情報処理科を設置 木村 豊校長
一宮商業高校は大正14年に一宮町有志により、明治大学で商学部の設置に尽力した志田鉀太郎博士を校長に迎え、私立一宮実業学校として創立。昭和11年に県立に移管された(志田鉀太郎はその後、明治大学総長に就任)。平成17年には創立80周年を迎え「自治・責任・創造」の校訓のもと、送り出した卒業生は1万4000余名を数える。
昭和45年には関東地区の高校で初めてコンピュータを導入し、翌46年に県下の高校で初めて情報処理科を設置した。このコンピュータは、当時の校長の強い要望に基づいてPTAが2年がかりで募金を行い導入にこぎ着けたことから大きな話題となった。
情報処理科設置とともに創部された電算部は、全国商業高等学校協会(全商)主催のプロコンや、経産省・文科省などが母体となって主催するU-20プロコンで、大会発足以来つねに上位を占め続け、強豪校という評価を不動のものとしてきた。木村校長も「プロコンは自分たちでアイデアを出し、長期にわたって協同で作品を創り上げるという、教科では得難い教育手段」と、高く評価している。
最近ではIT革命など激動する産業社会や大学が求める人材育成に向けて、初級シスアドや全商・日商簿記検定、情報処理技術者やソフトウェア開発技術者の資格取得をテコに進学する生徒も増加し、卒業生の活躍の舞台も大きな広がりをもつようになっている。
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