視点
wikipediaの記述は信頼できるか
2007/04/02 16:41
週刊BCN 2007年04月02日vol.1181掲載
昔からよりよい結果を生むためには、多くの人の知恵を借りることが重要とされてきた。
新聞記者の書いた生原稿が新聞に印刷されるまでには、デスク、校閲、整理など社内の多くの人の目を通り、修正されて記事になる。だから情報量が多い割に新聞にはミスが少ない。
ネット上の百科事典、wikipediaはこの方法をもっと徹底して、百科事典を編纂してきた。だれでも編纂に参加でき、だれでも修正できる。文字通り衆知を集めて編纂している。英語の項目数は160万を超え、本のブリタニカを凌駕するまでになった。PCさえあれば簡単に検索できる便利さが支持され、多くのアクセスを集めるようになった。言語別に独立して編集されているが、英語版はCNNとBBCの合計アクセスより多いという。
ところが、衆知を集めたはずのこの事典に最近、信頼できないという声があがるようになった。まだ存命している有名人の伝記についても、多くのトラブルがある。私の周囲でも自らの記述に間違いを発見、訂正を求めている人が2人もいる。衆知を集めても完璧な百科事典はできないらしい。
トラブルの背景には、さまざまな要因があるようだ。だれでも匿名で編纂に参加できるから、10代の子どもが書いている項目もあるとか、思想的に偏った集団が書いているとか、ネット上の記事を検索してそのまま書いているとか、多くの疑問が表面化している。
まだ社会的、歴史的に評価が定まらない項目について、誹謗中傷の書き込みがされたり、論争が続いたりしている。冒頭には「現在の記述内容が正しいとは限りません」という断り書きが出ている。wikipediaという項目で、同百科は「記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です」と書いている。
研究者の間では以前から信頼性について疑問視する人は多かったが、何しろ知識の概略をつかむには便利だから私もしばしば利用している。
米国人学生にも信頼できるかと聞いてみた。答えは「信頼度には疑問があるが、便利だからみんな使ってるよ」だった。3月に来日した創設者のジミー・ウェールズ氏がいみじくもいっていた。「wikipediaはあくまでスタート地点である」。
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