視点
技術の追求が及ぼす社会的影響
2007/01/29 16:41
週刊BCN 2007年01月29日vol.1172掲載
翌日の社説では、おおむね判決を妥当と評価するものが多かったが、朝日新聞だけは、被告側の主張をそのままコピー&ペーストしたかのような論調で目立っていた。
判決に異を唱える主な論旨は、「ソフトウェア技術者が萎縮して技術開発をやめてしまう」というものである。しかしこれは、実態からずれた主張と言わざるを得ない。
技術者が進歩的な技術開発を追求したいという気持ちは理解できる。しかし、技術の追求においては、常に市民の一員として社会的影響を考えてシミュレーションしておくべきである。
今回のWinnyに関していえば、著作権侵害を防ぐ実質的・具体的な措置を講じないままに開発・頒布すれば、日常的、継続的かつ大量に侵害行為が蔓延するのは必然であると、開発者は認識していたはずだ。にもかかわらず、開発・頒布を実行したことに対して今回、法的責任を追及されたわけだが、技術者である前に、市民の一人として守るべき規範があり、社会的な責任や道義的責任があると思う。
仮に技術者が萎縮するような開発テーマがあるのなら、情報倫理委員会のような形で議論のうえ、ガイドライン作りが必要だろう。いずれにせよ、法律を知らなかったといった言い訳や、法律を超えた技術を求めるといった主張は、技術者自身が民主主義社会の市民である以上、許されないのではないか。
ACCSは、著作権保護団体である一方、ソフトウェア開発者団体でもある。法を担保する電子技術を持つ会員会社もおり、技術の有用性と可能性をどの団体よりも知っている。だから法と技術の接点に立ち、その間をつなぐ活動も行っていきたい。
こうしたACCSの立ち位置からみても、そもそも、今回の判決で技術者が萎縮するとは思えない。
被告側が無罪を主張するために「技術者が萎縮する」といったような論法を取るのは仕方ない面もあると思うが、これに乗じてメディアが、技術者の不安を煽るような報道をしてはいけないと思う。
- 1