視点

80年代の失敗プロジェクトに学ぶ

2006/09/18 16:41

週刊BCN 2006年09月18日vol.1154掲載

 第五世代コンピュータプロジェクトの主導役だった渕一博さんが亡くなった。コンピュータに推論機能をもたせるという壮大な夢を掲げた国家プロジェクトだったが、1982年から10年の歳月と570億円の資金を投入しながら、満足な成果を残せないまま幕を閉じた。

 80年代は日本がコンピュータの基礎理論でも、世界の頂点に立つという夢を描いた時代だった。同じく失敗に終わったプロジェクトに、UNIXベースのソフトウェアをモジュール化して、開発工程を標準化しようとしたシグマプロジェクトがある。発想自体は世界に先駆けた独創性を備えていたにもかかわらず、計画は水泡に帰した。  80年代の挫折は残念ながらその後の日本のソフト産業に大きな影を落としているようだ。少なくとも、日本から新しい世界標準を生みだそうという発想自体がソフトウェア産業のどこからも聞こえてこない。事業領域は国内市場にとどまり、ソフトの貿易収支は90%以上の輸入超過という惨状である。

 自動車産業やデジタル家電産業は、国内よりも海外市場を前提としたグランドデザインを描くことで、世界的な競争力を獲得した。製造業にあって、今のソフト産業に欠けているものがあるとすれば、何より開発、生産手法の標準化だろう。自動車や家電メーカーが、海外で同一の製品を製造するために追求してきたのは、固有の技術、生産ノウハウ、品質管理手法を可視化し、世界のどの地域でも再現可能な手法を確立することだ。製造業に当てはまる成功事例が、なぜソフト産業には適用できないのだろうか。

 極論すればソフト開発もまた製造業である。日本のソフト産業が、輸出産業として成立するために、製造業の工学的な生産手法から学ぶべき点は少なくないはずだ。

 失敗プロジェクトとされた第五世代コンピュータ構想は、将来につながる様々な要素技術を生み出して、一定の評価を得ている。シグマプロジェクトが当初掲げたソフトの開発手法の標準化という発想は、現在の課題としても十分通用する。何が失敗の本質であったのか、そして学ぶべき教訓とは何だったのか。もう一度、これらを検証するなかから、ソフト産業が世界に展望を開くためのヒントが見えてくるのではないだろうか。膨大な予算を投じた国家プロジェクトでなくてもそれが可能であることは、日本の製造業が実証している。
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