脱レガシーの道標 IT新改革戦略を読む
<脱レガシーの道標 IT新改革戦略を読む>【第2部】連載第3回 佐賀市にみるダウンサイジングの背景
2006/09/18 20:37
週刊BCN 2006年09月18日vol.1154掲載
なぜサムスンSDS社だったのか
技術論だけでは終わらない
佐賀市のダウンサイジングは、システム構築を受注したのが韓国サムスンSDS社ということもあって、全国の市町村から注目を集めた。2005年4月に稼働した新システムは、国保・年金の大量データ処理でトラブルが発生、今年6月には運用障害と話題にこと欠かない。相次ぐ取材の申し入れに、担当者は「仕事にならない」と悲鳴を上げている。同市が脱レガシーに踏み切った背景に何があったのか。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)■電子自治体のモデルケース
佐賀市が脱メインフレームの方針を固めたのは2002年である。電子自治体システムが政策課題になり始めたときで、たまたま同市の情報政策課は既存のメインフレームの更新がテーマになっていた。
既存システムはメインフレームを中核に、基幹系と情報系の2つのネットワークで構成されていた。プロセッサのパフォーマンス、メモリやストレージの拡張性、さらに運用に伴う付随コストなどを把握するとともに、IP(インターネット・プロトコル)と既存システムとの親和性、整合性といった技術的課題を検討した。
「その結果、オープン化とダウンサイジング化を進め、地元企業に参入の機会を与えるべきであるという結論に達したわけです」
こう話すのは、同市情報政策課の宮崎徹也係長だ。
翌年6月、補正予算で「電子自治体構築業務委託」予算5270万円が認められ、次期システムの検討が具体化した。同年7月、「電子自治体構築業務委託公開型プロポーザル方針」を決定し、次いで「電子自治体構築事業者審査委員会」を設置、8月には「IT戦略本部」の会議でダウンサイジング方針を決定し、それに沿ってコンサルタントが選定された。
以後の経過は表の通りで、途中、システム開発の現場で行き違いがあったり、韓国のIT技術者が日本の法制度や地方行政組織を十分に理解していなかったなど、乗り越えなければならないハードルがいくつかあった。行政分野で初の本格的な日韓共同プロジェクトなので、トラブルがないほうがおかしい。しかし基本設計から丸2年で計43のサブシステムの全面稼働にこぎ着けたことを考えれば、総じて円滑だったといっていい。
また同市は新システムの開発と並行して、事務手続きの見直しを行っている。既存の紙ベースの手続きを電子化するだけでなく、電子公印や電子認証を導入し、各種証明書の自動交付などを追加した。さらにオンライン申請率を高めるため、全職員への周知徹底と市民への広報体制を作ったりもしている。総務省の元岡透地域情報政策室長は「佐賀市はダウンサイジング、電子自治体のモデルケースであることに変わりはない」という。そのことを前提として、もう一度、佐賀市のダウンサイジングを検証してみよう。
■設計手法が選定の決め手に
新システムの発注先にサムスンSDS社が決定したプロセスは、不自然なものではない。それでも疑問が残るのは、「地元IT産業の振興」を掲げながら、なぜ韓国企業に発注したのか、ということだ。
実をいえば、佐賀市が使っていたメインフレームのメーカーは、02年10月当時、別件の公共工事での不祥事で公共入札に制約を受けていた。このためそのメーカーの九州支社は地元の情報処理サービス会社を前面に立ててプロポーザルを行ったが、「Webベースド・コンピューティングへの移行」「自動交付機への対応」など、佐賀市の要求が高度であり過ぎた。
佐賀市によると、SDS社の「フレームワーク」というシステム設計手法が決め手の一つだった、という。プロトタイプを作って、アプリケーションのレイヤを重ねていく方法で、システムが標準化され、システム開発・保守・改良の作業が第三者でも容易にできる。つまり地元のサードパーティが参入できるようになるわけだ。
またソウル市江南区で稼働しているシステムは、「世界ナンバーワン」と評されていた。UNIXサーバーをベースとしたもので、その開発を受け持ったSDS社にLinuxへの対応を期待したのもうなずける。にもかかわらず、「なぜ?」の疑問が残るのは、佐賀市とSDS社の間に入って調整役を演じたコンサルティング会社(イーコーポレーション・ドットジェーピー)が、02年の早い時点で当時の佐賀市長・木下敏之氏に接触していた、という事実があるからである(木下氏は昨年10月の市長選に敗れ、現在は木下敏之行政経営研究所を佐賀市内に開設して、講演活動などを行っている)。
関係筋の話を総合すると、木下氏はイーコーポレーション社が企画・運営する「eコロンブス」という韓国IT事情視察ツアーに参加し、イーコーポレーション社の廉宗淳社長と意気投合した。ソウル市江南市のシステムに感服した木下氏が廉氏を通じてSDS社とコンタクトを取り、日本市場への参入を勧めた──という経緯が、システム発注の前にあったらしい。むろん、その後のプロセスを見る限り、「SDS社ありき」だったとは言えないが、市長の考え方が市職員や評価委員会のメンバーへの無言の圧力になった可能性は拭えない。
■オープン化とメーカー
木下氏は自身のホームページで「基幹システムの開発に当たっては、ソースコードを開示することを契約の条件とし、基幹システムの維持管理の仕事は、地元の企業が受注する。(全国でもきわめてまれな事例です)
また、17年には現実に、地元の企業がソフトの改修の仕事を受注しました」と記す。(編集部注・17年とあるのは平成)
ポイントは「ソースコードを開示することを契約の条件」にしたという部分だ。地方公共団体がそこまで踏み込んで契約を結んだのは、おそらく全国で初めてのことだが、木下氏はメーカーと運用受託会社に対しても同じことを要求した、という。既存のメインフレームで稼働するシステムを市職員が改造できず、データの更新すらままならないという反省があったからだ。
それに対してメーカーと運用受託会社の回答は、「アプリケーション・プログラムのソースコードは開示できない」「システムは佐賀市にレンタルしているもので、データは市のものだが、器(コンピュータとデータベース)は公開できない」というものだった。らちが明かないと判断した木下氏はメーカーの社長あてに質問状を送り、プログラムとデータの仕様開示を要求した──という話もある。
結果として旧システムで稼働していたプログラムとデータの仕様が開示されたので、SDS社は04年の春から移行作業を行うことができた。アーキテクチャの閉鎖性を武器にユーザーを囲い込んできたメインフレーム・メーカーの壁を突破するには、強い意思の力だけでなく、強力な対抗軸の設定が欠かせなかった。
ただし“その後”については、昨年10月の市長選で電子自治体システムが政争の具となり、地元有力資本の利権争いの「玉」になったきらいがある。脱レガシーを推進した木下氏が落選したあと、システムの運用と維持管理は佐賀電算センターから佐銀コンピュータサービスに変更されている。電子自治体システム、脱レガシーは技術論だけでは終わらない。
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