視点
著作権保護期間の延長は理をもって語れ
2006/06/05 16:41
週刊BCN 2006年06月05日vol.1140掲載
4月11日、音楽出版社協会の渡辺美佐名誉会長は、延長を求めるオノ・ヨーコ、リサ・マリー・プレスリーの書簡を携えて官邸に小泉首相をたずね、生前ステージで使われたプレスリーのスカーフを贈った。5月17日、JASRACは前年度の事業報告説明会を開催。挨拶にたった船村徹会長は、今後さらに、延長を求めていくと語った。 両協会のプレスリリースが共に示すその根拠は、欧米にならうことにある。著作物を国境を越えて保護する枠組みは、ベルヌ条約によっている。多くの国は、保護期間の下限として条約の定める「死後50年」にそってきた。ところが、ドイツ、スイスなど、長めに設定してきた国を抱えるEUは、域内の制度の平準化をはかる際、長いほうにあわせた。平準化で、権利の縮小を招かないという原則を立てた結果だ。1993年。インターネットの普及をみる前の選択だった。キャラクター保護の長期化で、権益の維持を狙うアメリカの娯楽産業が、後追いを議会に働きかけた。書籍をはじめインターネットを利用したアーカイヴィングが本格化するなか、欧米は今後、このツケを払わされる。
JASRACのプレスリリースは加えて、保護期間を延長すれば、より大きな創作の「インセンティブ」を与えられるとする。死んでからの保護期間50年が70年に延びれば、プレスリーもレノンも、もっと頑張ったろうという、これも実に不思議な理屈だ。
引き継いだ権利から、より長い間、見返りを得たいと望むのはわかる。著作権関連事業のパイの拡大を望む事情も推測できる。だが、著作権制度は、私たちすべてに関わる、文化のありようを決める仕組みだ。一方で、著作者の権利を定めて保護すること。もう一方で、権利をある時点で打ち切ったり、引用や私的使用のための複製を認めたりと制限を設け、著作物が広く利用されるよう留意すること。互いにぶつかるこれら二つの要素のバランスをとって、文化の発展に寄与することを、わが国の著作権法は目的として掲げる。
今ここで、そのバランスをくずして大幅な保護の強化に踏み出すことがなぜ必要なのか。延長を求める人たちはよく語っていない。時の権力者に貢ぎ物を携えてすがるのではなく、理をもって、私たちすべてに訴えかけて欲しい。
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