視点
「Web本」の母国語力・日本語力
2006/05/15 16:41
週刊BCN 2006年05月15日vol.1137掲載
アイルランド生まれの出版社社長は、インターネットの新世代を「Web2.0」と名づけたが、コンサルタント屋もどきでもあるので、その解説・分析・予測は、技術にともすると偏りがちだ。
元新聞記者のそれは、国語力に泣きが入っているから、ポイントをわかりやすく紹介していて、結構面白く読めた。例えば、Googleは広告代理店で、その売り上げの98.8%が、アドワーズ(キーワード広告サービス)とアドセンス(コンテンツターゲット広告サービス)であり、儲けのほとんどを、広告事業の新規拡大につながる投資に使っていること。
アマゾンの売り上げの3分の1が、ランキングで4万位から230万位の書籍販売にあること。「iチューンズミュージックストア」取り扱いの100万曲のうち、ダウンロードされなかった曲は1曲もなかったこと(いずれも俗にロングテール現象という)。旧広告業界の「新曲配信」という用語は、金貸しの利息計算の臭いがするのに、Webなら「新曲無料視聴」となり、若者が皆で新曲の匂いをかごうという雰囲気があること。
一方、「Google八分」なるものがすでに生じているように、情報検閲が始まったことも紹介している。例えば、Googleはこの1月に、1000近くの用語やホームページへのアクセスを制限する版を中国に提供した。だから、中国国内では、天安門事件や法輪功の情報が手に入らなくなっている。また、嘉手納基地やホワイトハウスの精密航空写真は、日本では見られなくなっている。「Google民主主義」を牧歌的に謳歌しているブロガーたちがあまり触れたがらないところである。
元司書のWeb本は、メタファーやセマンティックウェブやオントロジーに言及してまともだが、新しい知見はない。元雑誌編集者やいわゆるIT評論家のそれは、玉石混淆だ。日本と米国のWeb事情の将来予測・予断についても、論者ごとにまちまちだ。
「祖国とは国語だ」という立場からいえば、またぞろ、和語と漢語と外来語をどういうバランスで取り入れるかという課題が立ち現れたようだ。
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