視点

Webでつきあう

2006/02/27 16:41

週刊BCN 2006年02月27日vol.1127掲載

 ちょうど10年前に、『パソコンでつきあう』という本を、情報処理学会(版元は共立出版)で上梓したことがある。助詞の使い方がミソだった。「パソコンと」ではなく「パソコンで」である。たかがパソコンである。されどパソコンだから、やむを得ず書かされたのだった。中身は、都電荒川線の花電車、清く正しい御酒の飲み方、寅さんとリリー、楽器の練習法、吉田健一の悪口、英米語の悪口(第二公用語論を唱えたいなら、次を英語で言ってみろ…蒟蒻・納豆・芋の煮っ転がし・土手南瓜・侘び・甘え…)、おのろけ俳句の悪口(心すでに妻の仕草よ梅活けて)、ピンサロの点呼集、宮大工の西岡常一さんの話などだった。町内会にとって、パソコンは目的でなく手段に過ぎないのだから当然である。

 パソコンのことも少しは書かなければいけないので、プログラムの停止問題の証明などをやっておいた。読み返してみると、c言語に対する悪口を除いて、ほとんど全部いまでも通用することが分かって大変うれしい。ところで、このところWeb2.0談義が喧しい。視点子は、Google、Amazon、Wikipedia、青空文庫、無料辞書・翻訳サイト、各種ブログ、十番碁、アダルトサイト(メディアの消長を見るのにこれに如くはない)などをたまに覗くだけの晩稲(おくて)だから、あまり発言権はないのだが、確かにWebは世代交代を始めた雰囲気は感得できるようだ。

 既存のコンテンツビジネスやビジネスモデルが破綻をきたしだしたのもよくわかる。例えば、基本ソフトウエアのパッケージビジネスは、10年も前から、他人の技術の盗用とオカザリ機能のテンコ盛りで延命してきたのだった。挙句は、利用者はパソコン白痴化症候群にほとんど陥っている。

 「モノヅクリこそ日本の拠ってたつ元だ」とはよく聞く科白だが、それだけではちょっと心許ない。寺子屋以来、この国は識字率が高く、富山の薬売りの仲人業を重宝してきたお国柄であるから、「サービスこそ拠ってたつ元だ」としても、ぜんぜん違和感はない。寺子屋以来の跡継ぎ育て(教育という手垢に塗れた死語は使いたくない)を再興し、世界一の機械翻訳技術を確立すれば、サービスでも世界一になれる可能性は大いにある。孤立語、膠着語、屈折語を併せて自在に操る日本人の独擅場でもある。そのとき、Webの世代交代は、うまく活用すれば、追い風になりそうな気配である。
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