e-Japanのあした 2005
<e-Japanのあした 2005>65.最終回 次世代CALS、課題を抱えた再出発
2005/12/19 16:18
週刊BCN 2005年12月19日vol.1118掲載
CALS/ECは、2001年1月にスタートしたe-Japan戦略のなかでも優等生的な存在だった。重点施策と位置づけられた電子政府・電子自治体のなかで、最初の具体的な成果が、その年の11月に実施された国土交通省の電子入札である。当時の扇千景元国土交通大臣が自らパソコンのキーを叩いて電子入札を行うなどマスコミからも注目される華々しいデビューだった。その後、国交省では年間約4000件の直轄工事全てへの適用を進め、03年度までの2年半で導入を完了。さらに竣工図面やデジタル写真などの成果物を電子化して納入する電子納品制度も、04年度から全ての直轄工事に適用されており、今年8月には電子納品とCADの運用ガイドラインを全面改訂するなど、当初計画通りに順調に推移してきた。
しかし、公共工事全体のプロセスから見ると、電子入札と電子納品は入口と出口の部分を電子化しただけ。電子入札によって入札参加者が増えて競争が活発化して落札金額が下がる効果は期待できても、本来はプロジェクト管理や資材調達、維持・管理までにCALS/ECを導入しなければ、公共事業全体の効率化を実現することは難しい。国交省でも、電子入札と電子納品のあとは、次世代CALS/EC構想を策定し本格的なBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)を視野に入れた取り組みに着手する方針を打ち出していたが、04年に入った頃から動きが停滞。「国交省はすっかりCALS/ECに対する意欲を失ったのではないか」(大手ゼネコン幹部)と心配する声もあった。
「実際の現場では、まだ電子化するメリットを実感できないのが現状だろう。情報リテラシーの面でも問題があったのではないか」。国交省の専門委員会にも参画し、ニフティの専門サイト「C-PAS」を主宰するなどCALS/ECの普及に積極的に取り組んできた日本大学理工学部土木工学科の島崎敏一教授はそう振り返る。確かにCASL/ECが導入されたきっかけは、93年のゼネコン汚職事件にさかのぼる。公共事業の「透明性確保」を図るため、当時米国などで注目され始めていたCALS/ECに急いで取り組み始めたのが背景にある。地方整備局など実際に工事を発注し監理・監督を行う現場でCALS/ECを推進するインセンティブが働きにくかった面はある。いくら霞ヶ関で旗を振っても、「地方整備局では、局長など幹部の意識でCALS/ECに対する取り組みに差があったという印象はある。現場も、従来の紙のままのやり方で、まだ困っていない」のが実情だった。
次世代CALS/EC構想がここにきて再び大きく動き出したのも、今年4月に発覚して大きな社会問題に発展した日本道路公団の橋梁談合事件が背景にあるとの見方もある。単に93年と同じ構図でCALS/ECを活用しようというのであれば、公共事業の効率化も掛け声倒れになってしまう懸念もあるだろう。
e-Japan戦略も今年で区切りを迎え、2006年からは「IT新改革戦略─ITによる日本の改革─」がスタートすることになった。「現場にとって、利用するメリットがある仕組みでなければ意味がない」(島崎教授)。発注責任者が安くて良いものを安心して発注できるシステムの構築が、公共事業を改革し、国民の利益にも直結する。そんな次世代CALS/ECの実現を期待したい。
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