総IT化時代の夜明け SMBの現場を追って
<総IT化時代の夜明け SMBの現場を追って>11.三松(上)
2005/01/17 16:18
週刊BCN 2005年01月17日vol.1072掲載
情報化投資が裏目に
激しい競争のなかで、少しでも競合他社より優位に立とうと考えた三松は、本格的な情報化投資に踏み出す。だが、生産管理システムで何を実現したいのか不明瞭なままシステムベンダーに発注するなどの不手際が原因となって、システムの十分な機能を発揮できなかった。導入した生産管理システムのうち販売管理などの一部機能は活用されたものの、投資額の大半は無駄に消えた。
投資額の約5000万円は、板金加工に使う最新式のレーザー加工機を購入できる金額。中堅の加工メーカーにとって決して少なくない額である。レーザー加工機は、板金をプレスして複雑な形状の部品を抜き取ることができる。これまでの加工機では、1つひとつ「型」をつくり、この型をプレス機で板金に押し当てて部品を抜き取っていた。
製造業の海外移転や競争激化による単価下落が進んでいた当時、こうしたレーザー加工機を1台、2台導入したところで対抗できるレベルではなかった。そこで、生産管理システムの導入に踏み切ったのである。当時は、オープン環境やインターネット環境が普及する前の時代。そこでオフコンをベースに構築することにした。
オフコンはNEC製。システム構築は東証1部上場の大手独立系システムインテグレータに発注した。一流メーカーのオフコンと、誰もが名前を知っている一流システムインテグレータに発注すれば、間違いなく高い機能の生産管理システムを手に入れることができる──。こう判断した三松は、一流ベンダーにすべてを託した。
しかし、生産管理システムの利用は続かなかった。生産管理システムは、テンキーがついた専用端末を工場内に設置し、生産に従事する社員が必要なデータを随時入力する必要がある。この入力作業が徹底せず、抜け落ちていたり、間違いが頻発した。生産管理システムの土台となる元データが不完全なため、システムは本来の機能を発揮しなかった。
テンキーがついた専用端末は、簡単な仕組みのものだったが1台約100万円もした。このため広い工場内で2つしか端末を置けず、当時の工場内で勤務する社員約60人が、時には列をなして入力しなければならないこともあった。納期に間に合わせるため、時間を惜しんで作業を急ぐ工員にとって、この入力作業は負担となり、気がついたときには紙にペンで必要なデータを書き込む旧来の方式に逆戻りしていた。
生産管理システムがうまく稼働しなかった原因について、三松の田名部徹朗・常務取締役は、「経営者や社員が、生産管理システムで何がしたいのか焦点が絞り切れていなかった」と、システムの設計の段階から間違っていたと反省する。生産管理システムを導入するにあたって、運用方法や投資効果の分析が不足すると同時に、一流ベンダーにすべてを任せれば安心という錯覚が、その後の問題を大きくしてしまった。
オフコンによる生産管理システムの構築を受注したシステムインテグレータの担当者は、システムが稼働していないことを知り、機会を見ては様子を見に来た。三松側のシステムインテグレータとの窓口は、コンピュータを使って製品を設計するCAD担当者が兼任していた。日常の業務で多忙なこともあり、社内の意見を取りまとめてシステムインテグレータに要望を伝える作業をする余裕はなかった。
95年、ついに生産管理システムを見直す作業に着手した。システムインテグレータやコンピュータベンダーとのやり取りに詳しい石丸直之・企画管理部システム企画課課長が三松に入社したのもこの時期である。石丸課長は、それまで大手医療サービス業のシステム部門を長く経験していたことから、情報システムの構築に関して知識を持っている。
専任の情報システム担当者が入社したことで、システムインテグレータとのやり取りは円滑に進むようになった。田名部常務取締役は、「社内の担当者とシステムインテグレータ担当者との中間に立って、通訳をしてくれるような存在」と、石丸課長を評価。頼もしい人材を得た三松の情報システムは一気に改善に向かっていった。
生産管理システムの立て直しの方法は、当初約5000万円を投じたNECのオフコンをベースに手直しする方向で検討を進めていた。ところが、時代は急速に移り変わっていく。95年は、パソコンが本格的に普及し、インターネットも登場していた。「いまさらオフコンで…」という声が三松社内の関係者の間で話されるようになった。
システムインテグレータからは、「オープン化の時代」であると提案され、オフコンからクライアント・サーバー(C/S)型のオープンシステムへの移行を勧められた。オープンシステムの見積書には新たに5000-6000万円かかると記載されていた。新たな投資の発生である。
次回は、三松がどのようにして脱オフコンを図り、オープンシステムで生産効率を飛躍的に高めることができたかを検証する。(安藤章司)
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