視点

情報とは何か

2005/01/10 16:41

週刊BCN 2005年01月10日vol.1071掲載

 情報とは何か。その定義について考えたことがあるだろうか。「いまさら」と思う人が多いかもしれないが、言葉の中身を曖昧なままで情報や情報システムの効用を論じると、情報化の中身も心配になるのではないか。

 だいたいの企業では、情報とはなんとなく報告書、資料、メール、日報などのドキュメント類を指している場合が多いと思う。皮肉なことに、ドキュメントをたくさん書く人は大体仕事をあまりしない人で、ドキュメントをたくさん読む人も大体あまり外向けに活動しない人だと、周りを観察すればすぐわかる。

 「たまに情報交換しようか」といって仲間を酒に誘う風景もよく目にしないだろうか。2時間も3時間も酒を飲んで、結局交換したのは人事情報や上司の悪口や仲間の動向などだ。情報の解釈について、一部の方から「情けをもって報いる」という解釈を聞いたことがある。中国人の私は大変頭が下がった。このような解釈は思いもよらない。

 中国語にも「情報」という言葉はある。しかし、これは全く現在の日本語の意味と異なっている。その意味は今の日本語の情報ではなく、むしろ日本語の「諜報」に近いからだ。実はこの中国語の意味こそ、もとの日本語の意味を保っているのである。

 明治の兵隊用語には「敵情報知」という言葉がある。あまり頻繁に使うのでこれを短縮して「情報」というようになった。これこそ今の情報の語源である。要はアパート・マンションのことを短縮して「アパマン」というようなものだ。漢字は日中両国が共通なので、「情報」は中国に渡りそのまま現在に至っている。

 情報の語源から分かるように、情報の「情」は情けなどではなく状況と状態など客観的な事実を指している。情報とはターゲットに関する動向をありのまま仲間や上司に報知することだ。自分の思い、感想、評論を報告することは情報とはいわないし、自己アピールやゴマすりの日報とメールはもう論外である。

 「情報」を有効なものにするために、どこがターゲット(敵)か、何を報知すべきか(情)を決めておかないと意味がない。友好国をターゲットにしたり、敵の日常的な行為(食事やトイレ)を報知したりするのは「敵情報知」にはならない。兵隊のぼやきと決意表明も情報にならない。
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