視点

「文字禍」

2004/02/09 16:41

週刊BCN 2004年02月09日vol.1026掲載

 中島敦の最後の作品を「文字禍」という。「文字のわざわい」をテーマとしたこの短篇が発表された1942(昭和17)年12月、中島は33歳で他界した。舞台は、古代オリエントに覇をとなえたアッシリア。夜の図書館に響く話し声に、文字の霊の存在を疑った王の命を受け、老博士が真相の究明にあたる。調査と熟考の末に、博士は精霊の存在を確信する。単なる線の組み合わせに音と意味を与えていたのは、文字の霊だった。霊は、野鼠のように仔を産んで殖え、「人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムル」恐ろしい害をももたらすものだった。

 中島敦は、運命を凝視する作家だ。人は、言葉で世界を認識し、文字で書き記して文明を築く。だが、文字はあくまで、ものの影でしかない。影を抱くことを覚えた人間は、世界の実体を直接受けとめる手応えを失う。書かれたもののみが歴史となり、書かれなかったものは、芽を出さぬ種同様、そもそも存在しなかったものとされる。それが定め。

 中島の死から50年を経て現れたインターネットは、ないまぜとなった文字の豊饒とわざわいを、まるごと増大させているようにみえる。言葉が結び合い、響き合う一方で、文字を銃弾とした、神経を過熱させずにはおかない乱暴なゲームが、野火のように広がっている。善悪、幸不幸の判断はおいて、文字の精霊は、長らく閉じこめられてきた紙の枠を越え、電脳空間に解き放たれた。

 そんな時代の、新しい文字の棲処に求められるものはなにか。高解像度の表示は大切な柱。だが一度獲得した、瞬時に結び合う力の喪失を、彼等は望まないだろう。松下電器産業のΣBookは、紙面のスキャン画像の表示が基本。紙に逆戻りしたようなその静かなる棲処に、精霊は宿るだろうか。これを追うソニーの読書端末は、テキストによる、表示可能期間を2か月に限った「貸本」方式をとる。かげろうのように消える棲処の居心地は、如何に。

 かたや、リンクと検索によって結び合うインターネットの文字には、読みやすさとレイアウトの表現力が欠ける。筆者が関わる青空文庫のファイル然り。だが、電子本端末が世に問われる今春、ファイルの読み心地を大幅に高める仕掛けを、私たちも示す。精霊の選択が、楽しみだ。
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