視点

AV機器化してはならない

2003/11/17 16:41

週刊BCN 2003年11月17日vol.1015掲載

 パソコンがもの凄い勢いでAV(音響・映像)機器化しているが、私は、もっと別にやることがあるだろうと言いたい。なぜパソコンがAV機器になりたいかのというと、まず家庭に入りたいという欲望がある。メディア的にはAVとITが融合するとか、動画の再生機能が向上したとか、DVDドライブも入れ、ハードディスク記録もできるとか…いろいろ訳はあるが、まずはAVとITはまったく違うものということを認識しなければならない。

 AVとは、「受け身の文化」である。プロフェッショナルが制作したコンテンツのすべてを受容するのがAVの本質だ。価値が詰まったコンテンツの再現能力が問われる。それが素晴らしければ、音と映像の饗宴が感動を喚起する。ここではストレスなく、コンテンツを味読できる高画質と高音質が絶対に必要だ。今のパソコンの貧弱な画質、劣悪な音質のどこに感動があるというのか。マイクロソフトがウィンドウズXPのメディアエディションでリモコンが付いたと喧伝しているが、テレビのリモコンなんて、三洋電機のズバコンの時代から、30年前からある。

 パソコンは「能動文化」だ。受け身のコンテンツ受容文化のAVとは明かに方向が異なる文化をもつパソコンは、その強みを徹底的に生かすべきだ。もしどうしてもAV分野に出たいというなら、パソコンにしかできない、まったく新しい映像と音響の楽しみを提案すべきだ。例えば、入力した信号をすべて高画質のCGに置き換えて、画像処理する楽しみをユーザーに与えるとか、CDの音をSACDマルチの情報量まで圧倒的に増加させるとか、MP3の貧弱音質を革命的に向上させ、5.1チャンネル化する…とか、パソコンでなければ、つまり高度なアルゴリズムとデジタル情報処理があって初めて可能な芸当をして欲しいのである。

 AVプロパーのテレビ、DVDレコーダー、DVDプレーヤーなどを真似し、AVのメタファーを追っているようでは、パソコンに未来はない。より高度化し、フルデジタル化したAV機器は、もはや操作性、画質、音質の面で、中途半端なAVパソコンの敵ではない。それはソニーのPSXを見ればわかることだ。パソコンの未来は、パソコンならではの独自価値と機能の創造にかかっている。
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