大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第107話 ユラギ

2003/11/17 16:18

週刊BCN 2003年11月17日vol.1015掲載

水野博之 コナミ取締役

 物事というのは何事も真直ぐには進んでいかない。「ユラギ」というものがある。自然現象を解明するために「ユラギ」というものをその手段にしようとする物理学もあって、この「ユラギ」に身を任せると「快適感」が生まれる、とするのである。エアコンや扇風機などにも、この「ユラギ」を応用したものがある。それによると、涼風が強くなったり弱くなったり「ユラグ」と快適感が増す、という。

 自然の風も、波も確かに揺れているから気持ちがよい。公園のブランコもまた自ら揺らしながら快適感をもつことになる。社会もまた揺れる。米国の友人なども、民主主義のよいところは、この「ユラギ」にある、という。ワイワイ、ガヤガヤ、米国もしょっ中、揺れている。しかし、民主主義のよいところは、揺れながらも長い歴史の中では必ず正しい方向を示す、ということだ、という。いわば、その基本に大衆の叡智を信じる、というところがある。

 かく「揺れる」ということを物事の基本にすえてみると、物事がかなりはっきりしてくる。毎日のワイワイ、ガヤガヤに意味があるわけではない。それが行きつくところが大切なのである。この行きつく果てを見れる人こそ「アントレプレナー」の成功者となるのであろう。論より証拠、この10年間のワイワイ、ガヤガヤを見るがよい。そのほとんどは、今から思えば、何とまあつまらねぇ「ユラギ」であったことか。

 特にこの日本は世界に冠たる均一民族が、世界に冠たる狭さのなかに住んでいるから、付和雷同する環境が整っている。雷同なければ、いまだに村八分的裁判を受けることがあるから、なかなか自己発揮しにくい。しかし、何度も言うが、「アントレプレナーの道」は「ユラギ」のなかに身をゆだねながら鋭く自分を磨くことなのだ。(熊本・水前寺にて)
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