大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第106話 魔女裁判

2003/11/10 16:18

週刊BCN 2003年11月10日vol.1014掲載

水野博之 メガチップス取締役

 言うまでもないことだが、現在の社会の基本単位は夫婦である。男と女が一緒になって子孫をつくる。かくして人類は存続する。原始生物のなかには、オスとメスが1つの個体に同居し、1人で増殖するものがある。それが進化してオスとメスに分かれたのは、その方が都合がよかったからであろう。分業というわけである。分業の程度はどんどん進んで、オス(男)は日々の獲物を得る仕事に、メス(女)は子を育て、家庭をつくる方へと分かれていった。

 男は腕力があるから、人類の社会は男中心のように見える。しかし、歴史をよくよく観察すると、腕力を頼りに外をほっつきまわっていた男のほうに、何とはない女性への恐れがあったように感じられる。論より証拠。シャーマニズムも含めて、神に近い存在は常に女性であった。山の神といわれる所為だ。この恐れが極限化されたものが中世における「魔女裁判」であろう。「魔男」というのは聞いたことがないから、専ら女性が標的にされた。それだけ女性は不可知なものとして恐れられ、時代の犠牲となった。どうも、時代が方向を見失うと、いろんな形でこの「魔女裁判」は復活するようである。

 道路公団の弁護などさらさらするつもりはないが、戦後の日本の道路を一手に引き受けてここまでやった功績はけし飛んでしまって、悪の権化のように言われるのは如何なものであろう。もちろん公団にもいろいろと問題はあるであろう。しかし、「魔女的存在」にされると当事者もひとこと言いたくなるのは当然といえる。最も大切なことは、この枝葉末節の論議のなかで、本当の構造改革の行方が見えなくなることだ。道路公団の問題が構造改革のシンボルであるとすれば、かつての宗教裁判とあまり変わらない。熱狂の時期が過ぎれば、後には黙阿弥だけが残る。(百済寺にて)
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