大航海時代
<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第103話 内助の在り方
2003/10/20 16:18
週刊BCN 2003年10月20日vol.1011掲載
水野博之 コナミ 取締役
仕事をするにあたって(家族の、特に奥方の)内助の功は大変なものだ、と書いてきたが、それに対して、最近2つの返事を頂いた。1つは肯定的なもので、1つは否定的なものであった。肯定的な方からいうと、「その通りだ。妻なくして現在の私はない」と語られている。どうも御本人はかなりの御年令のようで、すでに仕事は長男にゆずり、悠々自適の生活のようであったが、この間の波乱万丈の生涯を思い出されながら、妻がいなかったらとても現在の自分はない、と結論されている。そしてその長い手紙の末に、シュンペーターに言及され、「まさに妻との新結合こそ、私のエネルギーの源泉であった」と書いてあった。突然シュンペーターが出てきたので私は読んでいて驚いたが、よく考えてみれば人生の「新結合」の始まりは結婚であるかもしれず、シュンペーター大先生がそこまで考えていたかどうかは別にして、1つの立派な解釈であろう。他の1つは徹底的に否定的なものであった。「自分の一生は女房に苦しまされた一生であった」というのである。「ああ言えばこう言う」、「こう言えばああ言う」。女房は最初の2、3か月を過ぎると、自分にことごとく反対する。こうしたいと言えば、だめだ、だめだの大批判である。
横に大魔神がいるようなもので、考えてみれば我が人生は大魔神との論争に明け暮れた人生だったと書いてある。しかし様子をうかがうに、どうも御当人も功成り名遂げて人生の栄光に浴しているところがあるから、それはそれでよかったのであろう。最も巨大なアンチ・テーゼ(反対者)が、最も身近にいてワァワァ言うから「何クソ」と力が出たのではないかと思われる。こう考えると、ソクラテスもまた強力なる批判者の前で思考への道を余儀なくされたかもしれず、奥方の内助の在り方もまた多様である、というべきか。(箕面の滝にて)
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