大航海時代
<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第86話 「おーい、中村君!!」
2003/06/16 16:18
週刊BCN 2003年06月16日vol.994掲載
水野博之 高知工科大学綜合研究所所長
かつて一世を風靡した(一寸大げさかな?)流行歌に「おーい、中村君!!」というのがあった。なかなか語呂のよい歌で、高度成長期にふさわしい調子のよい歌であった。いままで縷々蒸気機関(産業革命)の歴史について述べてきたが、筆者の意企したことは外でもない。「おーい、中村君!!」なのである。これを「おーい、ワット君」と置きかえても「おーい、トレビシック君」と置きかえても同じである。いま、日本に必要なのはワットであり、トレビシックであり、スティーブンソンなのである。何度もいうが、彼等は街に住む普通のオッサンであった。日本にだってそこらじゅうにいるに違いない。
あなたが、君が、まさにその候補者なのだ。現在の日本に活を入れ、元気づけることができるのは、政治家でも官僚でも、大学教授でも評論家でもない。街に住む一介のあなたがたなのである。孔子流にいえば「君子玉を抱いて罪あり」だ。あなたがた1人ひとりは「玉」を抱いている。気がつかないだけだ。罪なことである。ひとたびその玉に火がつけば、誰だってワットになれるのである。
ワットが大先生方に放った「私はあなた方ほど賢くも、スマートでもありません」という言葉には、燦然たる輝きがある。賢くないからこそ、スマートでないからこそ仕事ができたのである。テレビなどで見かける軽薄な言葉に躍らされてはならない。あれはどこからか仕入れた言葉をはくエピゴーネンの群れなのである。あんな連中はいつの時代にもいたのだ。
ワットやトレビシックはそのような人達を無視して走った。そのエネルギーは自らの玉に火を点ずることによって行われたのある。「玉が見当たらない」って?そんなことはない。皆、もっている。見えないだけだ。いや、煩悩にまどわされて見失っているだけである。「おーい中村君!!」
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