大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第81話 リチャード・トレビシック

2003/05/12 16:18

週刊BCN 2003年05月12日vol.989掲載

水野博之 大阪電気通信大学 副理事長

 (ワットの蒸気機関)の成功が有名になるにつれて、人々はその改良と応用に熱中するようになった。なかでもリチャード・トレビシック(1771-1833)は傑出していた。トレビシックの父は炭鉱に勤めており、ワットの最初の装置を炭鉱に備えつける仕事をした1人といわれるから、リチャードは身近にワットの蒸気機関を見、ワット自身の人柄も見ながら育ったに違いない。

 トレビシックは気短でせっかちで、時として腕力にもものを言わせる、という男であったが、発想と実行力は卓越していた。「へっ、あのワットのおいぼれ爺いに出来ることなら、この俺に出来ないはずはない」というのが彼の出発点であった。この辺り、謙譲とつつましやかを美徳とし、権威にはきわめて弱い日本人種と発想がいささか異なっている。

 1801年、トレビシックは最初の実用的蒸気自動車をつくった。彼は大いにその成果を宣伝して歩き、その年のクリスマスの週に試運転をすると言って多くの見物人を集めた。12月28日トレビシックの車は友人を乗せて、しずしずと動き出した。人々はそれを見て歓声をあげた。少しばかりオッチョコチョイのトレビシックはすっかり調子にのって、平地で走らせればいいものを、丘のほうに車を運転していった。

 車はようやく丘の上まであがったところで動かなくなった。「仕様がねえなあ」とトレビシックは舌うちをし、友人達と一緒に近くのホテルに行き、酒を飲んでいるうちに車のことはすっかり忘れてしまった。

 ほったらかされた車から水は蒸発してしまい、鉄は焼け、エンジンも車輌も全部燃えただれてしまった。見物人はヤレヤレと溜息をつき散っていった。なかに数人、ホテルに走り、酔っぱらったトレビシックにそのことを伝えた。彼は叫んだ。「自動車?それは何だ?」(京都南禅寺にて)
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