大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第79話 「面白かったから」

2003/04/21 16:18

週刊BCN 2003年04月21日vol.987掲載

 ワットとカルノーの場合は、ワットが先行した。ワットは1736年生まれであり、カルノーは1796年生まれである。カルノーが生まれた時、ワットはすでに60歳であり、その仕事のほとんどは出来上がっていたといってよい。

水野博之 水野博之立命館大学 客員教授

 ワットとカルノーの場合は、ワットが先行した。ワットは1736年生まれであり、カルノーは1796年生まれである。カルノーが生まれた時、ワットはすでに60歳であり、その仕事のほとんどは出来上がっていたといってよい。カルノーはまさに人々が熱狂して蒸気機関を応用している時代に育ったのである。1765年、ワットがワット機関を着想したわずか4年後の1769年には、フランス人のキュニョ(Cugnot、1725-1804)は世界最初の蒸気機関自動車を試作した。

 これが時速40kmでパリの街をチョコマカ走り回って人々を驚かせたのであった。もっともこの自動車も大変手間のかかるもので、約15分毎にボイラーに水を注ぎ足さなければならなかった。とても実用に耐えられるものではなかった。このように、技術が実用化されるためには、多くの物好きな人間がいていろいろなものを工夫し、つくりあげるものなのである。エンジニアという言葉はここから生まれた。「エンジンに火を点じ動かす人間」という意味であって、この意味でも蒸気機関の発明は人類を変えていく1つのヒントを与えたのであった。

 ここで2つの質問が出るであろう。1つは、「なぜ、彼らはそんなことをしたのか」ということだ。これに対する答えは、「面白かったからだ」としか言いようがない。人に先駆けてそんなことをして面白いのか。左様、面白いのだ。この点、エンジニアたる人は多少オッチョコチョイなところがある。2つ目の質問は、「金はどこから調達したのか」という質問である。エンジニアにはその活動を支える人たちがそのバックにいた、ということだ。キュニョの場合はザクセン候であった。だれか“谷町筋”がいたのだ。谷町筋がいないときは家庭であった。いずれにしろ、誰かが彼らを経済的・精神的に支えたのだ。(大阪創造館にて)
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