視点
情報音痴社会日本
2003/03/10 16:41
週刊BCN 2003年03月10日vol.981掲載
乗客は事態をのみ込めず、駅員に質問している人も数人いた。そのうち、駅員が追加情報をアナウンスし始めた。ところが、上りと下りのホームで同時にアナウンスをしたものだから、聞き取れない。ようやくわかったのは、「次発電車はどこの駅にいる」という情報だけだった。その電車は出発したのか、まだ出発していないのか、いつになったら、この駅に到着するのか、知りたい情報はいっさいなかった。頭に来て、駅員に「もっと情報を」と詰め寄ったが、何をいっても通じない。
ダイヤが正確な日本の鉄道だが、いったん乱れると、対処する方法がわからなくなるのは毎度のことだ。鉄道に限らず、何か起きた時、どの情報を早く伝え、どの情報は遅れてもいいか、官民問わず日本人は情報の扱い方を知らないのでは、といつも感じる。翌日、都心の高層ビルに出かけた。3つあるエレベーターホールのなかで、14階にいくエレベーターはどれか、探していたら、「B1・1・7-15・21」という掲示があった。このエレベーターは果たして14階に止まってくれるのか、頭を抱え込んでしまった。やってきたエレベーターに乗り込み、停止階のボタンを確認してやっとわかった。
情報とは、人が何かの選択をしたり、行動を起こしたりする場合、必要となるものだが、情報の出し手が、「これでわかるだろう」と勝手に思いこみ、あるいは、自らの責任ではないことを説明するだけの情報は、かえって混乱のもとだ。道路標識、パソコンやソフトのマニュアル、行政の各種資料…こうした事例はあげればきりがない。しかし、国民、利用者はあきらめているのか、あまり苦情をいわない。その結果いつまでたっても、独りよがりの情報、無責任な情報は改善されず、私のいらいらも解消されない。情報をどう扱うか知らない日本人。私は情報音痴社会日本と呼んでいるが、このままでほんとに便利で住みやすいIT社会を作れるのか、不安である。
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