大航海時代
<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第66話 皮相な構造改革
2003/01/20 16:18
週刊BCN 2003年01月20日vol.974掲載
水野博之 メガフュージョン 取締役
かつてのキャッチ・アップの時代の仕事の仕組みが現在では全く違ってきていることを考えないといけないだろう。1990年頃までは真似るべきパターンがあり、それをそのままやればよかった。仕事の進め方はコピーすべき対象を分析し習得し、そのまま知識化をすればよかった。付随する技術もまたすでに解決済みのもので、そこでひねくりまわす必要はなかった。結果として技術は経済の下部機構となった。明治立国以来、この仕組みは変わっていない。現在でも構造改革はいろいろ議論されているけれども、この本質には至っていない。例えば国の組織である経済産業省のなかでの技官(技術をもって任官した役人)の人たちの処遇はあくまでも専門職であって、文官の下部機構として位置づけられていることは歴然としていて、これは明治以来不変である。論より証拠、技官に対する局長職はきわめて少ないし、次官になった技官はかつてないという事実がこのことを如実に示している。いわば、これだけ技術が中心をなしている時代に、素人が国の経営をやっているようなものだ。
このパターンは政治においても全く同じである。「技術のことはよくわからんなぁ」という科学大臣がいることは漫画にはなっても政治にはならない。民間のほうは多少ましといってよいであろう。こちらはもう半年毎に結果は出るので、ノン気なことをやっていてはつぶれてしまうから、否応なしに技術系の社長は増えてはいるが、それでもマジョリティとはいかない。銀行なんかはその幹部に技術系なんてことはかつてなかったし、今からもありそうにないから、それだけで世界の大勢のなかから取り残されている。日本の金融に危機があるとすれば、この辺りであろう。現在、如何に構造改革が皮相なものであるか、この例からでも分かろうというものだ。 (大阪南港にて)
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