大航海時代
<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第49話 坂本龍馬の夢
2002/09/16 16:18
週刊BCN 2002年09月16日vol.957掲載
水野博之 メガチップス取締役
よさこい祭りの合間に、高知・桂浜へと友人達を案内した。桂浜というのは太平洋に面した美しい白浜で、月の名所である。昔は5色の美しい小石が採れたそうであるが、いまは少なくなったという。五色ヶ浜なんて名前もあるそうで、大変ロマンティックな場所だ。その浜の丘に坂本龍馬の像が立っている。像は太平洋を遥かに望んで立っていて勇壮なものだ。いま、龍馬が生きていたらなんと言うだろう。「とうとう日本もここまで来たか」とまず言うに違いない。なぜなら、この非業の死を遂げた若者の夢は、「なんとか日本を西欧列強に伍した近代国家にしたい」ということであったのだから。彼の立案した有名な「船中八策」は、周知のように明治建国のもとになったものだ。次に龍馬は言うに違いない。「何をおたおたしとるんじゃい。次の更なる飛躍を考えんかい」と。桂浜の風に吹かれながら、つたない英語で汗をかきながら、友人に龍馬の歴史を説明したところ、賢明なる友はただちに断定した。「じゃ、いま日本に必要なのは坂本龍馬のような人間なのだ」。言われて、またまた大汗をかいた。
さよう、その通りなのだ。体制に唯々諾々たる秀才には事欠かないが、一人の龍馬も出ないというのが現在の日本である。そういえば龍馬も秀才ではなかったな。あの時、徳川幕府のなかに秀才は山のようにいたが、うろうろするだけであったな。龍馬のお師匠にあたる勝海舟は、「時代の変わり目とは恐ろしいものだ。いままでの秀才がことごとく「阿呆になった」といった意味のことを語っている。考えればまさに今がその時なのであろう。幕末の大騒ぎも10年続いた。そろそろ今の沈滞もあく抜けしていいところに来ていると思うのだか、どうもねぇ、龍馬も海舟も見当たらんような気がするがねぇ。若き勇者の出現を望む。(高知・桂浜 龍馬像前にて)
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