大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第47話 懐の広さ

2002/09/02 16:18

週刊BCN 2002年09月02日vol.955掲載

水野博之 メガチップス取締役

 高野山に来て感心するのは、その「懐の広さ」である。宗旨は確かに真言宗なのであるが、どんな人でも厭わない。千里を遠しとせず、この山のなかに逃げ込んだ連中は、「よっしゃ、OK!」とすべて引き受けてきた。昔から頭を丸めて高野山に逃げ込めば、なんとかなったのである。あの比叡山焼き討ちをやった信長でも、佐久間親子が高野山に逃げ込んだのを許しているのだ。あんな山奥に入ることは2度と実世界には帰りません、という意志表示であったし、事実その通りであると言うことであった。

 こういったことで、この高野山にはありとあらゆる人物の墓が宗派を越えて並んでいる。例えば「千姫」の墓なんてのもある。武将について言えば、明智光秀、石田三成の墓が並んである。死すればともに一緒というところでは熊谷真実の墓と、平敦盛の墓が並んでいる。討った者も討たれた者も、死んでみれば同じなのだ。なかには「高麗陣、敵味方碑」というのもある。これについては、高野山の寛さを象徴的に示していると言ってよいであろう。宗教と言うのはそんなものだ。すべてを越えて許すところがないといけないだろう。心の狭い宗教の争いが近来目立つが、この高野山の大らかさを少し見習ってはどうであろう。

 このケタ外れの広さは空海が室戸の一角から眼下に広がる太平洋を思念したときに生まれたと言われるが、もともと日本は海に面し、世界とつながっていたわけで、世界中の人々が辿り着く終着駅であった。従って、空海的気宇壮大さはもっていたものと思われる。それが300年にも及ぶ鎖国の故であろうか、小さく固まろうとする気運が最近は強い。ここは乾坤一擲、本来の日本人に帰ってはどうだろう。世界を相手にしないアントレプレナーなんて想像もできないもんね。(高野山・奥の院にて)
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