大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第42話 難波の國に息づくもの

2002/07/22 16:18

週刊BCN 2002年07月22日vol.950掲載

 昨日、大阪商工会議所にいた。大阪商工会議所は、五代友厚(1835-1885)によってつくられた。五代友厚は、生まれは薩摩の藩士である。彼の凄まじい点は、今からの日本は、経済に立脚して伸びていく以外はないと早々と決心し、

 昨日、大阪商工会議所にいた。大阪商工会議所は、五代友厚(1835-1885)によってつくられた。五代友厚は、生まれは薩摩の藩士である。彼の凄まじい点は、今からの日本は、経済に立脚して伸びていく以外はないと早々と決心し、潔く薩長全盛の時代に武士(官)を捨て、文字通りの商人になったことだ。しかも、政府の地東京を離れて大阪の地で自らの志を実現しようとした。この点、三菱の岩彌太郎とは全く違う。こうして、彼は大阪の地に紡績、造船など多くの産業の種をつくるのである。文字通り、大阪は日本の紡績メッカとなり、日本の近代化の先兵となったのであった。

 日本の第1次大戦後の復興はガチャ万景気と呼ばれた紡績から始まったものだ。ちなみにガチャ万というのは紡機がガチャンと一回りすると1万円儲かる、という意味である。当時、月500円の生活を余儀なくされていた庶民にとって、それは夢のような話であった。五代友厚の偉さは、自ら起こした事業を私しなかったところにある。彼は大阪商工会議所を起こし、大阪のため、日本のために起業する人たちを助けたのである。商工会議所が現在でも中小企業の皆さんの集まりであるという伝統は、五代友厚によってつくられたものだ。

 このような伝統はいまでも大阪商工会議所に生きており、「アントレプレナー」の育成には大変熱心である。しかもそれはお手伝いに徹していて、決して出しゃばることはない。加うるに、このような活動を大阪の地に止めることなく、全国に呼びかけていることである。この辺り、まさに五代友厚に始まる気宇の壮大さが感じられる。なんたって大阪はビジネスの地なのだ。おーい、皆さん寄っておいでよー、というわけだ。かつて日本最初の開かれた都、難波の国の伝統はいまでも生き生きと残っている。(大商にて)
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