大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第26話 40年前の話

2002/03/25 16:18

 いまから40年ほど前の話である。当時、私の勤めていた会社が中国に最新鋭の工場を建設した。私は担当者ではなかったが、技術の責任者としていろいろな見聞をしたものだ。最初に大変なショックだったのは、最新鋭のラインを動かすもろもろのインフラができあがっていないということであった。機械を動かすための電源電圧、ガス圧の変動がひどくて、まともな製品ができないのである。現地採用のオペレータも全く慣れていないから、何十人と日本に呼んで基本から訓練しないといけなかった。

 あれやこれや、物づくり以前の問題があまりにも多くて「中国でハイテク製品を造るのは無理ではないか」とすら思ったものだ。それが今はどうだ。特別なものを除いて中国でできないものはほとんどない。人件費が日本の20分の1といわれるから、日本の高コストに悩む各社はどんどん中国にシフトしている。考えてみれば、日本も第2次大戦後、どん底から這い上がってきたわけで、多少の違いはあれ、人のことを言えた立場ではない。40年ほど前、アメリカに住んでいた。その頃、初めて日本が車を輸出した。アメリカ人はなんでも新しいものが好きだから、「ほう、日本が車をねぇ」と買う人が現れたのだが、これが大変であった。ハイウェイをちょっと走るとエンジンが焼きつく。夏なんか灼熱の太陽の下においておくとワイパーが焼きつく。

 私は大学の同僚によくからかわれたものだ。「こりゃあ、日本製自動車の専用道路をつくらんといかんな。そこには10キロごとにレスキュー隊をおく」。こんな経験をしながら、日本の自動車産業は世界の最高位へと登りつめていくのだ。アーサー・ヘイリーはその著書のなかで「オモチャの自動車」と日本を笑ったことを後に反省するのである。(山形・長井市にて)
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