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【訃報】メルコホールディングス創業者の牧誠会長が死去、69歳
2018/04/09 09:01
メルコホールディングスの牧誠会長
牧氏は1948年、名古屋市生まれ。73年に早稲田大学理工学研究科応用物理学専修の後、オーディオメーカーのジムテック入社した。2007年11月に、BCNの奥田喜久男代表取締役会長兼社長の連載「千人回峰」で対談した際は、大学院生の時、ラジオ雑誌にオーディオに関する論文を連載するほどオーディオにはまっていたことを披露。秋葉原にあったオーディオメーカーのジムテックでアルバイトをするかたわら、同社の社長と約束したアンプの設計に没頭しながら、そのまま社員として就職したエピソードを語った。
1975年5月、アンプの専門メーカーとしてメルコを創業、78年法人化した。メルコの社名は「牧(Maki)技術(Engineering)研究所(Laboratory)」と会社(Company)の頭文字をとってつくられた。
81年、P-ROMライター「RPP-01」を開発してパソコンの周辺機器に進出し、82年11月に発売したプリンタバッファが爆発的なヒット商品となり、周辺機器メーカーとしての地位を確立した。バッファローの社名は、公募したニックネームで一番多かったのと、このプリンタバッファーに由来する。
(2007年11月、週刊BCNの連載「千人回峰」の取材にて撮影)
91年に「ファブレス」を主張
91年10月、日本証券業協会に店頭登録した際に、工場を持たないメーカーとして今では普通に使われる「ファブレス」という言葉を、牧氏が初めて使ったとされるエピソードも残している。幹事証券会社の野村證券の担当者が、「業態は、工場を持っていないので商社になる」と言い出したことに牧氏は断固反対し、工場はなくてもメーカーであることを、ファブレスという言葉を使って主張して認めさせたという。牧氏は「メーカーとして最も重要なのは、新製品を開発する能力、それを販売する能力であり、作ること自体は二の次、三の次の問題だ」と語っている。
創業時に自ら設計製造したアンプが売れず、在庫となった製品をトラックに積んで全国の家電店に飛び込み営業しながら自問自答するなかで、「お客さんがどんな商品を欲しがっているかをまったく考えず、自己満足で商品を作ったんじゃないかというとに気づかされた」と回想する牧氏は、メーカーに重要なのは製品の開発力と販売力であることを説いている。
94年2月にHDDを発売してストレージ分野に参入。95年8月、東京証券取引所市場第2部に上場、96年9月、東証と名証第1部に上場。2003年5月、バッファローがメルコホールディングスに社名変更し、メルコグループの純粋持株会社となった。同年8月には、無線LAN「AirStation」が累計出荷300万台を達成した。
業界発展のために周辺機器メーカー同士をまとめる活動にも尽力。2010年2月に、メルコホールディングスとアイ・オー・データ機器、デジオンの3社で、ユーザーが使いやすいデジタルコンテンツの環境づくりやルールづくりを提言する目的で、一般社団法人デジタルライフ推進協会(DLPA)を設立。初代の代表理事を務めた。 14年6月には代表取締役会長に就任。16年5月にメルコグループは40周年を迎え、17年5月には無線LAN「AirStation」が累計販売4500万台を達成した。 年間の販売台数シェアNo.1のメーカーを讃える「BCN AWARD」でも、メルコグループは毎年連続で数々の部門を受賞する常連メーカーである。 直近の「BCN AWARD 2018」では、メルコグループが12部門で受賞。内訳は、バッファローが無線LAN部門(16年連続16回目)、ルータ部門(15年連続16回目)、LANカード部門(19年連続19回目)、HUB部門(17年連続18回目)、外付けハードディスクドライブ部門(10年連続15回目)、NAS部門(5年連続5回目)、ゲームコントローラ部門(2年連続2回目)の合計7部門。シー・エフ・デー販売が、メモリ部門(7年連続7回目)、拡張インターフェース部門(9年連続9回目)、PC電源部門(7年連続7回目)、ドライブケース部門(8年連続10回目)、グラフィックボード部門(15年連続15回目)の合計5部門を受賞する実績をあげている。(BCN・細田 立圭志)
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