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【被災地レポート】大手ITメーカーは全社で対応、物流とガソリン調達に苦労も
2011/04/19 10:26
OCAは、多くの自治体のシステム保守業務を担い、震災時にはライフラインの再構築に重要な役割を果たす。このため、震災下のガソリン不足の状況でも優先的に確保できるよう自治体が配慮し、「これによって機動的に動くことができるようになった」(松藤支社長)という。
社員から犠牲者も出た。津波で甚大な被害を被った南三陸町役場は、同社の顧客。OKIは、防災無線など防災関連機器を納入していた。その南三陸町防災対策庁舎では、テレビなどで報道されている通り、地震発生時から町の女性職員が防災無線で「大津波警報が出ています。すぐに高台へ逃げてください」と放送し続け、最後は津波にのまれて亡くなった。松藤支社長は、「このとき、この女性職員をアテンドしていたのがOKIグループの社員だった。残念ながら、彼も津波にのまれて亡くなった」と、沈痛な表情で語ってくれた。
さらに苦難は続いている。松藤支社長は、「福島県で、原発事故の影響で自主避難地区に指定された地域のシステム復旧にも動いている。放射能測定器や放射能防御服も購入した。日本の復旧・復興のために働くスタッフのモチベーションは高い」と、被災が甚大な地区に全国から要員を充てる準備を進めている。
OKIグループのプリンタメーカーであるOKIデータの営業拠点、北日本支社では、震災直後からNTTドコモの「iモード」で営業担当者6人の安否確認を行い、全員の無事を確認した。その後、顧客の確認を急いだが、設置されたプリンタの数は膨大で、状況把握には苦労している。佐藤泰彦北日本支社長は「いまだに、どれだけのプリンタが無事稼働しているか、完全にはつかめていない。30件ほどから連絡があり、水に浸かって使えない状態だ」という。
OKIデータでは、既存顧客の状況を確認し、部品の供給に全力を尽くすほか、「復旧・復興の段階では、被災地域限定の特別価格でプリンタを提供する」(佐藤支社長)という。取材した4月15日には、6人の営業担当者が主要顧客の巡回を再開。被害状況に応じて、被災地に役立つ対策を臨機応変に打ち出す方針だ。
OKIグループの東北地区を統括する早坂広行東北支社長は、「復旧・復興対策は、10年のスパンで考える必要がある。まずは、現状で混乱が激しい自治体関連のサポートを徹底的に行うため、公共系に従事する人員を全社から集め、東北地区に投入する」と、社会インフラを担うベンダーとして迅速に動く。
コールセンターの事業継続に奔走
訪問・出張サポートベンダーのキューアンドエーは、仙台市に仙台オペレーションセンターと仙台テクニカルセンターを置いている。両センターを統括する菅原賢一仙台管理室長執行役員は、震災時、同社が入る住友生命仙台中央ビルの10階にいた。直後に電気が消え、館内放送の指示でビルの外に出た。その日から明朝にかけてはビルに入ることは許されなかったが、管理人に頼み込んで、一時的に事務所に入った。ここで取ってきた携帯電話のソーシャルメディアを使って、社員の安否確認を行った。幸い、両センターの被害はPCが机から落ちて数台が壊れた程度。だが、「当社の事業はコールセンター業務で、大手IT機器メーカーから業務を委託されている。止めるわけにはいかない」(菅原執行役員)と、すぐにコール業務に就ける人員の確保を急いだ。これによって、半数以上の担当者が翌週から業務に就くことができた。菅原執行役員は、「通常でも8~9割の応答率(入電に対する受電率)だが、従業員の努力で、人員が少ないにもかかわらず7割を確保できた」という。
だが、仙台市内は数日間、飲食店が閉まり、店から食料が消え、電気・ガス・水道が使えない状態だった。そこで行ったのが、ビル内での炊き出し。「たまたま炊飯器メーカーのコールセンター業務を委託していたので、テクニカルサポート用の炊飯器が数台あった。お米は、本社の迅速な対応で東京から届いた」(菅原執行役員)と、何とか事業継続ができたと振り返る。菅原執行役員は、「自宅でコールセンター業務ができる環境を整える必要がある」と、余震に悩まされながらも、次のステップに向けて動く。
取材初日の朝、仙台市中央区の市場前で見た桜は三分咲きだった。最終日に再びそこを通ると、満開。1週間もすれば葉桜になるだろうが、来年も必ず彩りを添え、東北地区の復旧・復興を見続けることだろう。(谷畑良胤)
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外部リンク
日本IBM=http://www.ibm.com/jp/ja/
沖電気カスタマアドテック=http://www.oca.co.jp/