“駆け出し”の若造が振り向かせる
──ずいぶんとビジネス・エコシステムに傾注しておられるようですが、どういったことが最初のきっかけとなったのでしょうか。 これを話すと長くなるのですが、実は1980年に入社してまだ間もないときから、ビジネス・エコシステムの有用性を実感する出来事があったのです。もちろん、当時はそんな概念も言葉もありませんでしたので、単純に「異業種交流」と呼んでいましたけれどね。
──ぜひ、教えてください。 理工系の大学でしたので、入社後はそのままSEになりましたが、自分でいうのもなんですが、仕事がよくできたんです(苦笑)。無駄なことが嫌いな性分で、プログラムを部品化したり、ドキュメントを自動生成して作業時間を減らして、残業もしなかった。平社員なので残業しないと、お給料が本当に少ないんですよ。まだ若かったものですから、SEの何たるかもよくわからないまま、上司に訴えて、営業職に変えてもらいました。数字さえ出せば、残業なんてしなくても評価してもらえるだろうと、ね。
赴任先の仙台拠点の担当エリアはとても広くて、北は青森まで行かなきゃならない。当時は新幹線なんてありませんでしたので片道4時間半。日帰りしようとすれば1件の訪問で一日潰れてしまう。これではとても割に合いませんし、そのときに担当していた金融機関は、そもそも顧客数が限られていて、宿泊を許されるほどの件数がない。そこで、担当外ではありましたが、製造業や流通業といった異業種の顧客訪問を始めました。
──そこから異業種を結びつけるビジネス・エコシステムが始まったのですか。 今から思えばそうかもしれませんが、そもそも駆け出しの若造なんかと、普通は誰も会ってはくれませんよね。ただ、その小僧が自分たちが知らない業種のことをよく知っているとなると、興味本位で会ってくれる人が増えたのです。同業者ばかりが訪問していると、「ウチのことも同業者に漏らされるんじゃないか」と警戒されてしまうのですが、新しいビジネスのネタになりそうな異業種の話が聞けるとあれば、違ってくる。本来の私の担当である金融機関も、自分たちの融資先となり得るような業種のことは興味津々で、結果として顧客接点を増やすことにつながったのですね。小さな成功体験かもしれませんが、これが今のビジネス・エコシステムの考えの原点になっています。
失敗を成長の糧とする企業文化
──業界の垣根を越えてオープンイノベーションを起こす大切さは理解できたのですが、一方で非常に不確実というか、従来型のビジネスに比べて成功への確率が低すぎるという指摘もあります。 挑戦者だけが未来を変えられると信じています。すでに軌道に乗った既存のビジネスに安穏としているようでは未来は描けない。もちろん、私自身も失敗を山のようにしてきました。直近ですと執行役員になった02年に新規事業の「ビジネス・アグリゲーション事業部」を立ち上げたのですが、1年で潰してしまいました。先ほど私は「無駄なことが嫌いな性分」と言いましたが、私にとって失敗は「無駄」ではなく、むしろ「成功への指標」なのです。失敗の経験は無形資産として会社や社員、組織に残り、成功への道標になる。
ただ、自分が失敗する分には、慣れてますからいいのですが、新規事業に果敢に挑戦した部下が失敗して、肩身の狭い思いをしているのをみると耐えられない。イノベーションは失敗の連続ですから、日常的に挫折を味わうものなのです。だからなんとかして背中を守ってやりたいし、失敗を糧として将来の成長や、社会的な課題を解決するようなイノベーションにつなげたい。
[次のページ]