大野三規社長率いるアロシステムは、2004年4月からの5か年計画で年商1000億円、全国150店舗の流通網を構築する。製造から小売りまでを自社で完結した蕫一貫流通体制で、組み立てパソコン分野でのシェア拡大を推し進める。今年10月には、自作パソコンショップ「ツートップ」、「フェイス」を運営するユニットコムを傘下に収めることになっており、「組み立てパソコン市場では圧倒的なシェアを獲る」と意気軒昂だ。製造から販売までを一貫させる手法は、「日本版デルモデル」のようにも映る。
ツートップとフェイスを経営統合、5か年計画で年商1000億円へ
──完全受注生産(BTO)による自社製パソコンが急拡大し、小売りではなくメーカー的な色彩が濃くなっています。
大野 10月1日にツートップとフェイスを経営統合することにより、自社生産のパソコン販売台数は、これまでの年間約20万台から30-35万台に増える見込みです。パソコンリサイクルへの対応もあり、生産子会社のアイシーエムカスタマーサービス(ICMカスタマーサービス)は、今年6月に電子情報技術産業協会(JEITA)に加盟しました。主要生産拠点は、私の出身地でもある島根県にあります。土地約6600平方メートル、建屋4棟で操業しています。工場の社員は約30人、委託社員などの約60人を合わせて計約90人です。この工場の生産台数は月産1万5000-2万5000台の間ですが、経営統合後は年産30-35万台に増える見込みのため、とても今の生産能力では間に合いません。そこで、島根県出雲市内の工業団地への移転・拡大を検討しています。ただ、当社はあくまでも小売店舗が基盤です。メーカーにはなりません。
──具体的な出店計画は?
大野 店舗事業では、今年度(04年3月期)末には、経営統合後の計91店舗から計約100店舗に増やします。これらの店舗は、1つ目に顧客の需要動向を細かく捉え、これを新製品の開発に役立てます。2つ目に、顧客からの注文を受けてBTOをします。当社は島根県の工場で全店舗統一型の共通モデルを生産していますが、基本は店舗でのBTOにあります。り、すべての店舗は小さな工場であり、生産拠点なのです。店舗名を「パソコン工房」と名付けたのは、当初から生産を担うことを考えていたからです。3つ目は、顧客サポートです。生産台数を急激に増やすメーカーが陥りやすいのはサポートの欠落です。サポート力が追いつかなくなると、顧客満足度や信頼を失ってしまいます。
店頭とウェブでBTOを展開、組立パソコン市場で圧倒的シェアを
──流通・卸を担当する子会社のエムヴィケー(MVK)を通じて、自社流通網以外へのパソコン販売を強化していますね。
大野 実は、生産子会社のICMカスタマーサービスで生産するパソコンのうち、およそ半分が自社流通網以外の販路で売られています。大口顧客はソフマップや、今年1月に業務提携したNTT西日本系のNTTネオメイトなどです。店頭での組み立て販売は、「店頭BTO」と呼んでいます。当面はこれで問題ありませんが、来年度以降は、島根県の工場内でBTOの仕組みもつくります。ウェブでBTO対応して完成品を届けます。サポートは全国の店舗を通じて行います。顧客は店頭BTO、ウェブBTOの好きな方を選べるようにします。もちろん、店舗やウェブを通じて、一般の法人需要開拓にも力を入れます。
──やはりメーカー的要素が事業の中心では?
大野 違います。メーカー色が濃くなると、顧客の要望が見えにくくなります。私はもともと、当社の元親会社で周辺機器メーカーのアイシーエム(ICM)東淀川工場の工場長として、インターフェイスやストレージ製品をつくっていました。90年代前半のICMは、メルコやアイ・オー・データ機器と並ぶ周辺機器メーカーで、ピーク時には年商約250億円、社員は約250人でした。ところが、当時台頭してきたDOS/V機(PC/AT互換機)の波に乗れず、96年に総負債額90億円を抱えて倒産してしまいました。ICMが失敗したのは、市場の動きと顧客の需要を十分に取り込めなかったからです。私がメーカーを嫌う理由は、この苦い経験に基づくものです。
話のついでに申し上げますが、なぜ倒産した会社の一工場長が、今、社長をやっているかと疑問が湧いてくるでしょう。ICMに勢いがあった頃、ドライバソフトを開発する札幌の会社、アロシステムを買収し、また、修理やサポートサービスを請け負う子会社ICMカスタマーサービスをつくりました。ICM経営陣からの要望があり、95年にアロシステム、96年にICMカスタマーサービスの社長を引き受けたのが、そもそもの始まりです。当時、工場長をしていたこともあり、よく台湾へ部品の買い付けに行っていました。台湾では、パソコンはメーカーがつくるものではなく、店頭で組み立てて売るのが主流でした。今でも多くの台湾のショップは、パソコンを店頭で組み立てて売っています。台湾では、これらのパソコンを「ハンバーガーパソコン」などと呼び、具に何を挟むかを顧客の自由に任せていました。この仕組みに感銘を受けた私は、アロシステムで、パソコンを組み立てて販売するショップ「パソコン工房」を95年に立ち上げました。
──しかし、親会社が倒産すれば、子会社にも負債が残る。
大野 そうです。ICMが倒産すると、アロシステムにも約10億円の負債が残りました。破産管財人に「どうする? 商売を続けて借金を返せるか?」と聞かれました。当時は、たとえ雇われ社長でも一応は社長であり、辞めるわけにはいきません。また、他のICM役員は、みないなくなってしまい、残ったのは私1人だったという事情もありました。それからは、パソコン工房の立ち上げと借金10億円の返済に追われました。自分の意識の中では、それほどプレッシャーを感じてはいませんでしたが、身体は正直なもので、髪の毛がずるずると抜け落ち、しまいには眉毛まで抜け落ちてしまいました。変わり果てた様子を見たカミさんが、あまりに心配するものだから、私はいっそうのこと、不揃いの髪の毛と眉毛をぜんぶ剃り落とすことにしました。
債権者向けの説明会は、みな理解のある優しい人ばかりではありません。なかには怖そうな人もいます。別に対抗するわけではないのですが、ピカピカに剃り上げた頭で、眉毛もないので、いっそのこと背広を着るのをやめてみたところ、何だかそれっぽい格好になるではないですか(笑)。すると不思議と自信が湧いてきて、パソコン工房のビジネスに集中できるようになりました。借金10億円をすべて返済できたのは99年頃、年商58億円、店舗数40店舗ぐらいに成長した時でした。抜け落ちた髪の毛や眉毛も、少しずつ生えてきて、ほぼ元通りになったのもこの頃です。
──確かに苦い経験ですね。
大野 今回のツートップ、フェイスの経営統合は、とにかく2度と潰れない会社をつくるためです。成長性と収益性を、より確かなものにしなければなりません。少なくとも組み立てパソコン市場では圧倒的なシェアを獲り、リーダーシップを発揮します。このための財務体質強化策として、来年度以降できるだけ早いタイミングでジャスダックに株式を公開すべく準備を進めています。5か年計画で年商1000億円を達成できれば、東証1部、2部クラスも夢ではありません。
眼光紙背 ~取材を終えて~
完成済みパソコンを売る家電量販店の再編が進んでいるのと同様、組み立てパソコン流通も大きな転換の時を迎えた――。この10月、ツートップ、フェイスを傘下に収めるアロシステムは、これを機に攻勢に出る。「市場や業界の変化に即応しないと生き残れない。元親会社のICMはそれができずに倒産した。当時は蕫コンパックショック﨟を経て市場環境が激変していた。今、組み立てパソコン市場は、デルの勢力拡大で激変している」「ならば、アロシステムグループの総力を挙げて、デルを上回る製品、サポートサービスをつくり出しデルの脅威を排除する」柔軟なBTO(受注生産)、全国の店舗を活用したサポートサービスなど、組み立てパソコン市場で強さを発揮する。(寶)
プロフィール
大野 三規
(おおの みのり)1948年、島根県出雲市生まれ。67年に高校卒業後、父親の会社手伝いなどを経て、81年、建築資材販売の新日本商事入社。店舗やショールームデザインなどを手がける。90年、アイシーエム(ICM)入社。95年、ICM子会社のアロシステム社長に就任。96年、アイシーエムカスタマーサービス(ICMカスタマーサービス)社長を兼務。同年、ICM倒産。アロシステムの立て直しに社長として尽力し、現在に至る。
会社紹介
2003年10月、パソコン工房を運営するアロシステムは、自作パソコンショップ「ツートップ」、「フェイス」を運営するユニットコム(久安淳雄社長)を経営統合する。統合後、両社合わせた店舗数は91店舗、年商は約600億円となり、組み立てパソコン市場で国内最大規模となる。アロシステムは、子会社としてアイシーエムカスタマーサービス(製造)と、エムヴィケー(流通・卸)をもっており、製造から流通、小売りまで一貫した独自流通網を構築している。これにツートップとフェイスが加わる。パソコン工房は地方都市、ツートップは大都市部、フェイスは通販を主に受け持つ。それぞれのブランドは残す。両社を統合した今年度(04年3月期)の部門別売上構成比は、店舗販売が約53%、法人向け販売が約13%、流通・卸が約15%、通販が約17%、その他数%となる見通し。