これからの20年は、過去50年よりも大きく変わる―。中国にとって、ITは経済発展に欠かせない産業になった。中国最大手のソリューションプロバイダ、ニューソフト(東軟集団)は、社員5000人を総動員して、巨大市場のIT構築に力を入れる。海外ベンダーとの積極的な提携を通じて、世界から最新技術を調達し、顧客需要に即したシステムへと組み上げる。劉積仁会長兼CEOに、激動する中国IT事情を聞いた。
カーナビ製造メーカーと出会う。商用ソフトウェアの開発へ
──「中国ビジネスは困難を極める」と、疑心暗鬼になっている経営者が多い。今、中国はどう変わっているのでしょうか。
劉 確かにここ20年間、日系企業をはじめ、世界中の企業が中国へ進出したものの、すべてが成功しているわけではありません。しかし、どこの社会にも、それぞれの発展段階というものがあるのです。1980年代から改革開放を打ち出し、これまでの約20年間、それでも中国は大きく変わったことは紛れもない事実です。
私自身、55年に中国・東北地区に生まれ、大躍進運動、文化大革命の洗礼を受けて育ちました。その私が今、5000人の社員を引き連れて、中国最大のソリューションプロバイダとして、中国全土の情報システム構築を手がけることになるとは、若い頃には夢にも思いませんでした。
80年代から現在に至る20年間の中国は、50年代から80年代に至る30年間の変化よりも、比べものにならないほど大きく変わった。これからの20年は、過去の50年間よりも、さらに大きな変革を遂げるはずです。
私の幼少時代は、人々の価値観も単一的なもので、私も周囲と同じような価値観で、特別変わっていたというわけではありませんでした。それだけ、中国の社会と外の社会とは蕫隔離﨟されていたのです。80年代に入り、一気に接触が活発になっても、うまくいかなかったのは不自然ではありません。
──何がきっかけで“敏腕経営者”へと変化なさったのですか。
劉 私は、もともと中国・東北大学で教鞭を執る教師でした。それがカーナビ製造メーカーのアルパイン社との出会いから、商用のソフト開発を手がけることになり、今では世界およそ20社の大手ベンダーと提携し、中国国内に向けたシステム構築を手がけることになったのです。
私を含め、多くの中国ビジネスマンの意識改革のきっかけとなったのは、インターネットの登場です。中国国内の体制が、80年代に入り、改革開放、社会主義市場経済へと開放路線に進み始めたのに加え、インターネットを通じて、世界のビジネスを知りました。改革開放というリアルな変化だけでなく、バーチャルな世界においても、インターネットを通じて大きく、早く変わることができたのです。
冒頭に「どこの社会にも、それぞれの発展段階がある」と話しましたが、今の中国が、この20年間の改革開放で理想的な水準に発展したかといえば、そんなことはありません。まだまだ足らないものが多い。私がこうして日本や欧米に足を運び、商談を続けているのは、世界中の優れたソリューションを手に入れるためです。中国の次の発展に必要なソリューションを前もって手に入れることで、ライバル企業との差別化や、中国のより迅速な発展を促進できるからです。
これまで20年間、中国の巨大な市場を目指して、世界中のベンダーが売り込みに来ました。サーバー、パソコン、ストレージ、基本ソフト(OS)、アプリケーションソフト、データベースなど、数え切れないほど多い。ところが、これまで中国には、こうした個別の“部品”をうまく組み上げ、ソリューションとしてまとめ上げる技量と力量をもったプロバイダが存在していなかったのです。
われわれの仕事は、これら部品を費用対効果が最も高まるように組み合わせて販売することで、世界のベンダーとの協業関係をつくりあげているのです。
売り上げの93%は中国国内、人材育成にも投資
──コンピュータ業界でも、第2、第3のユニクロを目指して、中国の安い労働力をソフト開発に生かそうと考える経営者が多いですが。
劉 その考えは、8割方、間違っています。ほんとうに安い労働力を求めるならば、もっと賃金の安いほかの国を開拓したほうがいい。中国の主要なソリューションプロバイダは、国内の旺盛な情報化投資を消化するので手一杯で、海外の仕事を請け負うほどの余力がないのが現状です。
当社も売り上げの93%を中国国内で稼ぎ出しています。中国国内の携帯電話などの通信事業者や社会保険システム、医療分野、そのほか金融、交通、軍事など、国を支える基幹系システムの構築を全国約30の拠点網を駆使して手がけています。
海外での仕事を“受けない”という訳ではありません。ただし、ソフトの受託開発会社がやるような“1人月いくら”といった受注はせず、あくまでも蕫ソリューション﨟単位で受注します。その情報システムがどれだけの価値を発揮するのかで、価格を決めるというやり方です。ソフトの受託開発をやるつもりはありません。
──海外のベンダーが、単身で中国市場に乗り込んでも失敗すると。
劉 単身で乗り込んできても難しいでしょう。サーバーやデータベースなどの部品は、自動車で言えばエンジンやタイヤのようなものです。中国国内における顧客の要望に合わせて、これら部品を組み立てる人が必要です。要求項目や予算、納期など、みなバラバラで、ひとつひとつ丁寧に対応してこそソリューションに結びつきます。
情報システムにおいても同じで、顧客の要求に合わせて、最適な部品(コンポーネント)を選び、必要に応じて、ソフトウェアを作り込むことが求められる。ソフト開発やサポート、保守運用は、われわれの最も得意とする分野ですから、海外ベンダーの強力なパートナーになれるはずです。
──人材育成にも力を入れていますね。
劉 当社と、当社の出身母体である東北大学などが経営する4年制のコンピュータ・ソフトウェア専門大学(カレッジ)を、全国3か所に開校します。昨年7月に、1校目に当たる東北大学東軟信息技術学院(東北大学ニューソフト情報技術学院)大連校(遼寧省)を開校し、今年9月には2校目の海南校(広東省)が開校しました。来年9月には、3校目に当たる成都校(四川省)が開校します。
この3校の開設で、これまでに約5億人民元(約75億円)の投資をしました。成都校が開校すれば、3校合計で約2万人の学生が学び、毎年5000人の卒業生を輩出します。中国の最大の強みは、優秀な人材がどこの国よりも多いことです。これに加えて、今年7月には、大連市内にある当社のソフトウェアパーク(ソフト開発の工業団地)の第2期拡張工事や、日本語教育で実績のある大連外語学院と提携し、日本語のできる技術者を養成する専門学校を来年9月に開校します。
日本をはじめ、海外のITベンダーやパートナーは、われわれのソリューション能力や施設を使い、自社の製品やサービスを中国国内に売り込む。一方、われわれは海外ベンダーから調達した部材に対して、豊富な人材を割り当て、立派なソリューションに仕立てる。この協力関係が、海外のIT企業とわれわれとの新しい“生態系”を創り出すものと信じています。
眼光紙背 ~取材を終えて~
3か月に1度は東京に立ち寄る。中国・東北の大連、中部の成都、南部の海南の3か所に技術者養成校をつくり、全国を飛び回る劉会長にとって、東京は成都に行く感覚の近場だ。
「中国の南部に行くより断然近く、国内出張感覚で立ち寄れるのが東京。それでもって今後、中国で需要が見込まれるITS(高度道路交通システム)やデジタル放送システムなど、最新動向を捉えられる。日本でのパートナー企業も多い」と、かなりお気に入りの様子。
「今は経営者で、業績も順調に伸びている。だが、もともとは大学教員で、今も教えるのが好き。早く人材を育てて、一線を譲れるようになったら、また教壇に立ちたい」
温厚な人柄である。(寶)
プロフィール
劉 積仁
1955年、中国遼寧省丹東生まれ。80年、中国・東北工学院(現・東北大学)計算機応用学科を卒業。86年、米・国家技術標準局コンピュータ研究院に留学。87年に帰国後、博士号を修得。88年、東北大学の教授に昇進。91年、アルパインとの産学協同で、後のニューソフト(東軟集団)の母体企業となる「瀋陽東工アルパインソフトウェア研究所」を設立。現在、ニューソフトグループの会長兼CEOを務めると同時に、東北大学副学長、コンピュータソフトウェア国家プロジェクト研究センター長、中国ソフトウェア産業協会常務理事、中国インターネット協会副理事長などの要職を兼ねる。
会社紹介
中国最大手のシステムプロバイダ。1991年、カーナビなど車載機器開発のアルパインと提携し、ニューソフトの母体となる瀋陽東工アルパインソフトウェア研究所を設立。当初は、中国・東北工学院(現・東北大学)とアルパインとの産学協同事業だったが、現在はグループ全体で社員数5000人、02年12月期の売上高は前期比11.1%増の20億人民元(約300億円)、最終利益は5000万人民元(約7億5000万円)を見込むまで急成長した。
劉積仁会長兼CEOは、産学協同事業時代からの中心人物。3年後の05年には売上高37億人民元(555億円)を目指す。アルパイン、東芝、ノキアなどと合弁会社を設立したほか、IBM、ヒューレット・パッカード、NEC、サン・マイクロシステムズ、コンピュータ・アソシエイツ、シスコシステムズ、モトローラ、オラクル、サイベースなど20社余りと提携する。